泰西名画模写画とオリジナル絵画、コレクションの作品紹介

10年以上続けてきたヤフーブログから移行してきました。 画家になりたいという、若い頃からの夢をかなえたくて、独学で模写から勉強しています。 また、好きな人物画を主に、有名無名を問わず気に入った絵画収集にも努めています。 他にも日々お出かけの日常などを紹介しています。

備忘録

画家 板谷房

今朝のメール「「画家 板谷房」にコメントがありました。
いつも板谷画伯に関する情報をお寄せいただくお方からです。

foussa itayaで何回か検索すると表示件数が爆発的に増えて来ました。海外の全ての画廊等では生没年を1919~、現存作家としています(正確には1923生~1971没)。アメリカの27の競売会社の板谷房の出品数はこの30年で99件、1950年代30件、1960年代20件、1970年代10件、製作期間を1969年迄としていますが一点だけ最晩年の年記の優品を見つけました。http://www.artnet.com/artists/foussa-itaya/la-jeune-artiste-hALxVtKLnSPnrqefvbNHlw2 。若い挑戦的な画家のバックの模写、死の間際、ルネッサンス画に何を思ったのか。お描きになった模写画の中にもあったような・・。もう一点9年前のクリスティーズ出品作、藤田嗣治同様、面相筆と金箔の和洋折衷作品https://www.christies.com/lotfinder/Lot/foussa-itaya-frenchjapanese-b-1919-fleurs-5468428-details.aspx競売件数は米、仏、英、スイスが多く、後は伊、独、スペインが僅か、知らなかっただけで売れっ子作家だったのかも知れません。

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私からの返信
〇〇様
いつも板谷房に関する新しい情報をありがとうございます。
お知らせ頂いたアドレスを早速に検索、今まで見たことのない絵です。
貴殿のおかげで、板谷画伯がよみがえりそうな気配を感じます。
いつも本当にありがとうございます。


私のつたないブログでも、こうして興味を示しコメントをいただけることは、本当に嬉しいものです。

画家 板谷房

今朝も昨日ブログ記事にした画家板谷房についてのコメントが2通届きました。


板谷房は帰国するたびに個展を開いていて静岡の開場は松坂屋デパートだった様です。20数年前の話ですが、静岡にお住まいのお世話になった方の家に行くと廊下の目立たない所に、裸婦が足を抱えて座る構図の縦50センチ程の縦長の油絵が掛けてありました。今は息子さんの代に代わり、事務所の片隅でタトゥーに入れられて埃を被っているそうです。記憶に間違いが無ければお持ちの1968年のカタログに図版が掲載されていたかと思います。亡くなった頃はまだ小中学生で私はお会いした事はありませんでしたが帰国の度毎に父は会っていた様で父から話を聞いただけの画家ですが、わが家にとってはとても親しい画家でした。今のように自由に国際電話が掛けられる時代ては無かったので、亡くなった時、パリから電報が届いた様です。母が、ひとり娘さんがパリにいらっしゃると言っていました。日本では著名になる直前に早逝してしまいましたが当時のフランスでの評価を考えると、藤田嗣治の作品を多数所蔵するパリの市立美術館には作品があるかも知れません。最近の研究では藤田の下塗りをしていた画家の何名かは判っているとも聞いています。



板谷房ではなくitaya foussaで検索した方がフランス人作家として(欧米からの情報なので誤った記載もありますが)履歴や海外でのオークションの状況等を知ることが出来ます。藤田同様フランスに帰化したのかも知れません。2、3号のものも多く『タブローの前』ほどの良い作品は流石にありませんが、なかなか知ることの出来なかった板谷自身の初期の作品や藤田の宗教画風のものもオークションに出ていて興味と感慨深いものがあります。良い作品は制度的にフランス政府や現地の美術館が買い上げているのかも知れません。


私からの返信はこちらです。

○○様、コメントありがとうございます。
貴重な情報、グローバルな視野での検索、大変参考になりました。
確かに板谷画伯初期の絵には、藤田画伯の影響が色濃く残っていることを確認できます。
藤田嗣治画集は、何冊か持っていますが、初期の絵からは乳白色の裸婦像で有名になる画風とは似ても似つかない模索中の絵画が沢山あります。
板谷画伯も自信の画風に至るまでには、かなりの悩みと努力を重ねられた様子が分かります。
いずれにしても、この度のコメントに感謝申し上げます。
今後ともよろしくお願いいたします。


海外のネット検索で、新しい絵画を見ることが出来ました。

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他にも福岡県立美術館ホームページからこんな記事もみつけました。

https://fukuoka-kenbi.jp/reading/selected/kenbi11726.html

画家 板谷房

今朝、ライブドアーのブログ記事にコメントをいただきました。

「昨日偶然、板谷房の記述を見ました。彼は父の友人でした。渡仏後、初めは草を食べて餓えを凌ぎ、藤田嗣治の下塗りをして生活していたそうです。」


もちろん、すぐに返信いたしました。

「コメントありがとうございます。
オークションで手に入れた板谷画伯の絵は、今も寝室に飾って毎日眺めています。以前にもネット検索で、私の記事を読まれたお身内の方からコメントをいただき、以外に早くにお亡くなりになられたことを知りました。
私が17歳の時。板谷画伯に出会い「君は絵描きの目をしているね。」と直接語られたことが、ずーと脳裏から離れません。」

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今回のコメントで興味があることは、「・・・藤田嗣治の下塗りをして生活していたそうです。」

私が17歳、初めて板谷画伯に出会った時、板谷画伯の経歴には「藤田嗣治に師事」と言うことが記されていたことを鮮明に覚えています。当時から藤田画伯は私が一番好きな画家のひとりでしたから、板谷画伯に会えたことは、藤田画伯により近づけた思いを勝手に懐いていました。


そして、今回のコメントで分かった事実、藤田画伯はツルツルのキャンバス下地の作業は、自身で行い絶対秘密にしていたと書かれている、藤田嗣治関連の記述に疑問視できる点です。

少なくとも大型キャンバスの下地塗りや数多くの作品の下地塗りから制作まで、すべてを一人でこなすことには無理があると個人的に考えていたからです。


有名人には必ず諸説ざまざまな伝説が生まれるのもですが、それらが独り立ちしてしまいそのまま事実にされることもよくある話。


今日は朝からネット社会のすばらしさを実感した一日の始まりです。


板谷房画伯の関連記事はこちらです。

http://atoriemimiran2.livedoor.blog/archives/1536051.html

http://atoriemimiran2.livedoor.blog/archives/1538436.html

http://atoriemimiran2.livedoor.blog/archives/1538189.html

http://atoriemimiran2.livedoor.blog/archives/1538303.html

http://atoriemimiran2.livedoor.blog/archives/1538293.html

トヨタイムズ

 土曜日のこの時間からが一週間の内で一番嬉しい時です。明日は朝4時に起きなくても済む、早朝に起きなければならない緊張感もなく、本当に心から休まる気分の良い時間です。


ところで、最近よくテレビのこのCM映像で見るようになりました。

やはり最近問題視されているN社の社長とは、責任感の重さが違うという感じ、日本人的な思考と誠実な姿勢に頭が下がります。

頑張ってください豊田章夫社長。個人的にファンです。




阪神淡路大震災

1995年1月17日午前5時46分、淡路島北部の深さ16キロを震源とするマグニチュードは7.3の地震が発生した。

今日は阪神淡路大震災の発生から25年経過、早朝の地震発生時間に犠牲者に対して黙とうをささげられた方も多くいられたかと思います。


当時私は前年の1994年10月8日に、中国淅江省杭州市にある日中合弁ホテル「杭州友好飯店」に単身赴任中、朝家族からこの災害を電話で聞かされました。


その後、当ホテルの常顧客の商社マン(彼は芦屋在住)から「私はマンションの9階に住んでいましたが、地震発生時に台所の冷蔵庫がベランダまで飛んでいきましたよ。」と聞かされ、この地震の衝撃の凄さに驚きました。


ブログ記事を書くに際し、この震災の検索中に見つけた写真、この3点は今も衝撃さを物語る忘れられない写真です。

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イチロー人生すごろく

先程、YouTubeから「イチローすごろく」を見つけ、見ていたらとても面白く、人間イチローの素顔が傑作です。

興味があったらご覧ください。画像右下のYouTubewoクリックしてください。「イチロー人生すごろく23篇」の動画をクリックすると#1~#23まで、順次映し出されます。


謹賀新年

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古い写真 3

古い写真シリーズ最終です。

今から13年前に名古屋で開催した個展会場での写真です。

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関連した動画はこちらです。 👇

 

古い写真 2

 古い写真の続きです。

2冊目の古いアルバムからは日中合弁第1号認可ホテル「杭州友好飯店」時代の写真です。

髭面の写真は、合弁契約終了時2000年の役員による送別会のものと、岐阜に戻り東京方面へ帰国挨拶の旅行に出かけた時に、横浜の大事なお客様のお宅へ寄り、箱根の富士屋ホテルで食事をいただいた時の写真です。今も交流が続き、ミーミーラン開店時や個展開催時にはわざわざ横浜から駆けつけてくださる友情に厚いご夫婦です。

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杭州友好飯店時代の写真は以前スライドにした映像がありますので、ご興味があればご覧ください。👇


焼き場に立つ少年

今日の朝刊記事、「焼き場の少年」の記事を目にして、読むほどに目頭が熱くなります。

戦争の犠牲者たちが過去にどれほど多くを語ってきたか?写真や映画、絵画、歌、本などで、

何度も何度も全世界に向けて発信しているのに、今だ分からず屋が多くいる。


当時、「男の子は人前で泣くな!」の教えを守ってか、唇を噛みしめ、悲しみに堪えている

表情が目に焼き付きつけられます。

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上記記事は、写真をクリックすれば拡大して読むことが出来ます。

ベトナム戦争でのこの写真も脳裏から離れません。

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