美術館



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先日訪れた愛知県美術館で貰ってきた東海の展会情報に、私の故郷一宮市の三岸節子記念美術館で「自画像展」を開催中と知ったので、今日出かけてきました。
黒田清輝
佐伯祐三
松本竣介
宮脇晴
甲斐仁代
絹谷幸二
靉光
東京芸術大学では、卒業前に自画像を制作する教科あると知っていたので、芸大へは進学できなかったが私も20、21歳の時に記念の自画像を描いたのです。
当時は変に大人を意識し背伸びして、それでいてギスギスしながら、仮の自信を持って描いていた記憶があります。その絵画はこちらです。
三岸節子記念美術館過去のブログ記事はこちらです。
http://atoriemimiran2.livedoor.blog/archives/1535575.html
http://atoriemimiran2.livedoor.blog/archives/1535634.html
先回の岐阜美術館への招待状に続き、昨日は愛知県美術館「GENKYO横尾忠則」の招待状が届きました。きっと私のブログにコメントをくださった○○様のお気遣いでしょう。昨日お礼のメールをしました。
本来週末の土曜日か日曜日に出かけようと思いましたが、平日の今日出かけた方が館内は空いているだろうと考え、出かけてきました。
横尾忠則は高校生の頃から好きな人で、我々の世代では若い頃の関口宏が司会するテレビ番組「ヤング720(セブンツーオー)」で毎週土曜日に、詩人の高橋陸郎や写真家篠山紀信らと一緒に出演していた記憶があり、当時私にとって一番憧れの存在でした。
憧れが妙なこだわりになり「私も横尾さんと同じように早くに結婚したいなァ。」と思うようになりました。
横尾さんが21歳の時に確か1歳年上の姉さん女房と暮らしていたことに刺激され、私も最初は22歳の時に、8歳年上の姉さんと結婚しました。結婚する時期は1年遅かったが、年の差女房では俺の勝ちだなんて変な勝負で満足するアホな若造でした。
グラフィックデザイナー、イラストレーターと言う職業にも憧れ、当時ほぼ同じ時期に名古屋出身の宇野亜紀良も個性的な表現の女性像で名を成し世の中で認められる二大看板でした。
こうしてブログを書きながら、いろいろと思い出す私の青春時代でしたが、横尾さんが1980年代に画家に転向されたことは知っていました。私個人的には、ポスター制作の完璧さに対し、絵画の方はあまり評価していませんでした。しかし、今回のおびただしい数の作品群や200号位の大作を沢山見ていると、やはり画家のバイタリティーと発想力に圧倒されました。
展覧会会場の最後の展示室は、作品を撮影しても良いとの案内がありましたので、嬉しくなりそのほとんどを撮影しスライド化してみました。
詳しくはこちらをご覧ください。
https://genkyo-tadanoriyokoo.exhibit.jp/
最後に、眺めが良い愛知芸術文化センター展望回廊からの名古屋の光景です。
上記画像はYouTube 岐阜新聞の掲載よりお借りしました。
久しぶりの岐阜県美術館訪問、過去のブログ記事を探ると、2009年4月11日に訪れて以来ご無沙汰。
そもそもきっかけは、昨年私のブログ記事「画家板谷房」の記事にコメントをいただいたお方が、岐阜県美術館に私宛に招待状を送るようご手配された様子で、「○○様からご紹介をいただきました。」と一文添えられたはがきを2週間程前にいただいたからです。
2名まで入場無料、しかも展覧会の図鑑までいただき、VIP扱いされて大満足です。
展示内容は、岐阜県美術館の所蔵作品と三菱一号館美術館の所蔵作品とのコラボ展示、特にロートレックの作品の鑑賞は私にとって興味のあるところでした。
昔からロートレックが好きで、若い頃から彼の人生に特別興味を持っていました。