またまた、画家板谷房に関しての新情報のコメントをいただきました。
1964年から65年にかけて、板谷房はフランス政府から芸術院賞を貰い、サロンで3回目となる金賞を受賞して無監査となりますがこの頃から皆が手軽に買える、手頃な値段の少女像の小品を量産してフランスはもとよりアメリカ、スイス等に向け販売しています。精力的に製作し生活に余裕もあり充実したこの時期に、memeranさんは帰国した板谷さんと出会ったのですね。掲載されている少女のポートレートのステンドグラス風の背景はドイツ製の金箔(真鍮製もあるらしいのですが)に上から色を被せてあるそうで競売情報を見るとミクスドメディアと分類しているオークションハウスもありました。
私からの返信
2020年07月05日 21:3
〇〇様、またまた新情報をありがとうございます。
私が松坂屋本店の画廊で出会ったのは1968年ですから、この時期になります。
当時画廊に出品されていた絵画を、いただいたカタログで思い返して、今にして思えば、板谷画伯の絶頂期だったような気がします。
本当にどの作品にもスキのない緻密な描き方で、私が17歳の子供ではありましたが、心底惚れ惚れとして見入っていました。
それを何か勘違いされたのか「君は絵描きになる目をしているね。」と声をかけていただき、以後その気になって絵描きになる夢を見ていました。
もうひとつのコメントはこちらです。
板谷房の作品には、まだ20年余り著作権が残っていて競売終了後に図版が削除されているものも沢山ありますが、アメリカの記録等ではかなり遡れます。その中でも最も充実した時期に描かれた風景、サインからすると6号位でしょうか、https://www.invaluable.com/auction-lot/foussa-itaya-japanese-french-b-1919-1028-c-16596b09b5成る程と思わせる壁道橋の質感、統一され抑制された、でも穏やかで明るい色調と板谷ブルー、手前の屋根の稜線と淡い雲の峰が右下に伸びる一方、道は右上奥に向かう一点透視の落ち着いた構図、一見冴えない下町の川沿いの風景をモダンに甦らせていて、キリコの形而上絵画の様でもあり見方によってはシュール、隠れた名品だと思います。
私からの返信はこちらです。
2020年07月05日 21:50
〇〇様、新情報ありがとうございます。
早速にコメントのアドレス検索いたしました。
1923年生まれ、1971年没のわずか48年の生存でしたが、私の人生観でも40代が、一番仕事に乗っていた時期なのではないかと思っています。
体力、気力でも一番無理が効き、活躍できた年代だと思います。
私が出会ったときは板谷画伯が45歳の時、当時の写真からもうかがえる通り、写真の顔つきに底知れぬ自信がみなぎっています。
そのような意味でも、私が手に入れた絵は、板谷画伯の自信作であったに違いありません。
勝手ながらそう信じて、壁に飾った板谷画伯の絵を毎日見ています。
私が17歳の時、松坂屋本店画廊で出会った当時の板谷房画伯の写真。
そして私が数年前手に入れた板谷画伯の油絵、タイトル「タブローの前」
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