泰西名画模写画とオリジナル絵画、コレクションの作品紹介

10年以上続けてきたヤフーブログから移行してきました。 画家になりたいという、若い頃からの夢をかなえたくて、独学で模写から勉強しています。 また、好きな人物画を主に、有名無名を問わず気に入った絵画収集にも努めています。 他にも日々お出かけの日常などを紹介しています。

2012年11月

綺麗な画像と名曲


Sarah Brightman - Lascia Chio Pianga - Serge Marshennikov
You Tubeの投稿を始めてから、新しい情報が入ってきます。
サラ・ブライトマンの綺麗な歌声と写実絵画のような芸術写真の数々をお楽しみください。

Mystery of Mona Lisa

モナ・リザのミステリーご覧ください。

赤い花

昨日とはうって変わり、寒い北風もなくポカポカ陽気の東海地区です。

いよいよ我が家のシャコバサボテンが満開です。

隣のハイビスカスも負けじと赤い花を開花しています。

赤と緑のコントラストが似合うクリスマスの時期が迫ってきましたね。

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思い出の絵画12

「思い出の絵画シリーズ」これが最後です。

1991年のサインですから私が40歳、広告代理店の営業マンとして結構張り切っていた時代です。

この頃は画家になる夢はあきらめ、ひたすら受け持ちの宝石展示会や販売促進企画、テレビCM,ホテルのヂィナーショー企画、有名人の講演企画などなど、いろいろな仕事を受け持って良い経験をしました。

いっぽう絵は趣味程度にと、好きな画家の国吉康雄やポール・デルヴォーの模写や訳の分からない題材をスケッチして楽しんでいました。

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長らくの「思い出絵画シリーズ」お付き合いありがとうございました。

駄作ばかりで、つまらない思いをさせてしまったブローガーの皆様には、この場を借りてお詫びいたします。

また、誠に私の身勝手なブログ記事にも拘らず、最後までご覧いただいた方々や励ましのコメント、ナイス!を心がけてくださった方々に心よりお礼申し上げます。

思い出の絵画11

私の記憶では、小磯良平画伯の絵を一番多く模写した気がする。

私の手元の今あるのは、ここに紹介する7点だけだが、その多くは他人の所へ行ってしまった。

私が29歳の時に模写した絵です。

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その後に描いた模写画がこちらです。

元絵は赤坂赤坂離宮にあり、この絵の完成巡回展で本物を目にし、すごいと圧倒させられ一度模写する気になりました。

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思い出の絵画10

36歳の時、遅ばせながら2週間ほどイタリア、フランスでブラブラしていました。
その時のスケッチです。

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思い出の絵画9

私30歳、1981年の作品群、この頃は西洋人形に興味があり、デパートで5万円のドイツ人形を買ってきてもらい盛んに描いてたようです。

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油絵の方は多くが絵具がはがれたりして、古いフレスコ画のような状態ですが、これはこれで面白い効果があると思っています。

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思い出の絵画8

今日紹介する絵は1980年のサインですから、私が29歳の時のものです。

結婚から1年半目に長女が生まれ、その2年後に次女が生まれました。

下の娘が七五三の時の写真を描いたものです。

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こちらは、娘たちの近所の友だちです。

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思い出の絵画7

1973年私が22歳の時、4月に8歳年上の女性と結婚しました。

憧れの横尾忠則氏は21歳で1歳年上の女性と結婚。私は1年遅れたが、姉さん女房としては8歳年上。
「負けてないぞ」気分で少し優越気分でした。

ところで、今でも忘れない衝撃は、二紀展で初めて目にした宮本三郎画伯の絵でした。

展示されてた絵画はタイトルが「二人」、アダムとイブが禁断の実を食べて楽園を追放されるシーン。

何が驚きかというと、肌色に輝く綺麗な色彩に、私もこんな絵が描ける画家になりたいと思ったものでした。

後にこの絵を模写しました。これが私の模写画です。

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この記事はこちらをご覧ください」。
http://blogs.yahoo.co.jp/atoriemimiran/34196419.html

この時代、こんな絵を描いていました。
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思い出の絵画6

1971年から1972年のかけては戦後の高度成長まっただ中、まじめに働けば定年まで約束された安定雇用、給料は毎年5~10%上がるは常識の世界で、物価も少しづつ上昇し売り手市場の世の中にあって、大量仕入れ大量販売をモットーに大型ショッピングが各地でしのぎを削っていました。

私の絵の方は、ポートレートを見ながら描いているほどの純粋さがまだありました。

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そして、画材屋が経営する美術教室に行くようになってからでしょうか?

裸、ヌードに私のDNAが見事に反応しだしました。

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もちろんヌード以外の絵も描いていましたよ。

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