泰西名画模写画とオリジナル絵画、コレクションの作品紹介

10年以上続けてきたヤフーブログから移行してきました。 画家になりたいという、若い頃からの夢をかなえたくて、独学で模写から勉強しています。 また、好きな人物画を主に、有名無名を問わず気に入った絵画収集にも努めています。 他にも日々お出かけの日常などを紹介しています。

2009年02月

愛知県植木センター

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今日は朝から上天気、例年より温かく感じる今年は、近くの愛知県植木センターのしだれ梅がもう開花しているたろうと思い出かけてみました。

例年この時期に行われる「梅まつり」は来週の土日曜日に開催の案内が出ている。

今日はあいにく閉館で、館内の庭を散策出来ませんでしたが、ご覧のようなしだれ梅が見事に咲いていました。

以前、名古屋に住んでいた時も名古屋市農業センターのしだれ梅が有名で毎年出かけてものですが、

ここにも負けないほどの見事なしだれ梅が見られました。

洋ラン展

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今日からJR岐阜駅のアクティブGで「洋ラン展」が開催されると聞いていたので、

午前中出かけて参りました。(会期2月27日~3月2日)

ご覧のような会場で、こじんまりしたラン展。即売会もしてたが気に入った鉢は見つからず、

早々に帰って来ました。

ここでランの花にまつわる花言葉を掲載しておきます。

=== 洋ラン花言葉====

☆カトレア Cattleya---優雅な女性。
☆デンファレ Dendrobium Pbalaemopsis group---わがままな美人。
☆デンドロ Dendrobium---わがままな愛。
☆パフィオ Papbiopedilum---変わりやすい愛情。
☆シンビジゥム Cymbidium---飾らない心。
☆胡蝶蘭 Pbalaenopsis---あなたを愛します。
       幸福が飛んでくる清純、
       機敏な人。
☆セロジネ Coelogyne---粋なはからい。
☆オンシジュームOncidium---可憐・気だての良さ・つぼみのままでいて・清楚。

私は個人的にはカトレアが好きです。香りが好く、我が家のランも今、カトレアが一鉢

蕾を蓄えております。

どんな美女が現れるか? 今からも楽しみでござります~。

全国の皆さんにお願いです。「ひろき君を救う会」

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ブログ仲間のナチュラルさんの記事に心を動かされました。

ナチュラルさんの記事を詳しくお読みになりたい方はこちらまで、

http://blogs.yahoo.co.jp/green_tree_10/24178696.html

尊い一人の命「ひろき君を救う会」にご協力を・・・・。

只今、制作中(15)「モワテシエ夫人」「フローラ」

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只今、制作中シリーズです。今日はこれで制作終了。

上の写真はジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル作「モワテシエ夫人」の模写制作です。

ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル(Jean Auguste Dominique Ingres, 1780年8月29日 - 1867年1月14日)は、フランスの画家。

19世紀前半、当時台頭してきたドラクロワらのロマン主義絵画に対抗し、ダヴィッドから新古典主義を引き継ぎ、古典主義的な絵画の牙城を守った。

ラファエロに対する極めて高い評価、入念に構成された緊密な諧調、形体の幾何学的解釈など、師であったギョーム・ジョセフ・ロックの影響が色濃い。

そして、下の写真はパルマ・イル・ヴェッキオ作「フローラ」の模写制作。

仕上がりまでにはまだまだ共に時間を要しますが、改めて制作状況を報告いたします。

ミーミーラン美術館12「洗礼者ヨハネの首を受け取るサロメ」部分

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ベルナルディーノ・ルイーニ作「洗礼者ヨハネの首を受け取るサロメ」 

サロメの顔の部分を模写、完成。

サイズは、F8号(45cmx38cm )

今日、改めてミーミーラン美術館入りです。

藤田嗣治の晩年

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今日は、晩年の藤田嗣治について書かれた文章と写真を記事にいたします。

本のタイトルは「藤田嗣治画集 素晴らしき乳白色」より、2002年11月27日初版本が発行されているが、この時は君代夫人も日本での彼の出版を快く許していたようで、株式会社講談社から発刊されている。

藤田は、1959年ランスの大聖堂でキリスト教に改宗した。これはフランス人にとって驚愕(きょうがく)の事件だった。ランスは、フランク族のクロヴィス王がキリスト教に改宗した由緒ある地である。

良き時代のモンパルナスを代表する画家として著名だった藤田の改宗は、パリの新聞、雑誌に大きく報道された。カトリック教徒になるにあたり藤田は、尊敬する画家レオネルド・ダ。ヴィンチにちなみレオナール(レオナルドのフランス語読み)と改名した。

すでに1955年にはフランス国籍を取得していた藤田は、カトリック教徒になることで、よりフランスとの結びつきを強め、平穏な心のよりどころを求めてのであろうか。

改宗を機会に宗教問題の作品をそれまで以上に多く描くようになる。

人物のボリュームと空間の巧みな表現、人物間の心理的な結びつき、動きと統一性のある画面構成、それぞれの人物を描いた優美な描線、抑制された感情表現などに藤田芸術が到達した高みを見ることができる。

1920年から藤田が辿ってきた道程のすべてがここに凝縮されているのである。

カトリックとなった藤田が生涯の最後に挑戦したのは、洗礼を受けたランスの地に自分がデザインした礼拝堂を建てることだった。

建物、彫刻、ステンドグラス、壁画などすべてを自分でデザインし、フレスコ画は壁面の漆喰(しっくい)が乾かないうちに絵具を混ぜて描いていく技法であり、たいへんな労力を要する。

修整がきかないので確かな技術も必要である。藤田がフレスコ画で示している筆づかいは、これまでのキャンバス作品に見られた繊細で優美なものと異なり、スピード感あふれるものだ。太い線が力強く人物の輪郭を浮き上がらせている。

乾いてしまえば、描けなくなるフレスコゆえの表現である。確かなデッサン力と大画面の構成力なくてはこうした壁画は描けない。

1921年ヴァチカンのシスティナ礼拝堂でミケランジェロの「最後の晩餐」を見て以来の夢が、ここに実現したのだ。

そしてこのノートル=ダム・ド・ラ・ペ(平和の聖母)礼拝堂のもとに精神の安住の地を得たのだった。
礼拝堂は1966年秋に完成し、パリ郊外ヴィリエ=ル=バクルの自宅に戻るが、体調をくずし12月には入院し手術を受ける。

翌年1年間はパリとチューリッヒの病院への入退院を繰り返したが、1968年1月29日、チューリッヒの病院で亡くなった。81歳だった。

藤田はヨーロッパの絵画革新のために、日本の美学を用いた。「日本画」に囲い込まれていた繊細な線、滑らかな下地の平面性を取り出し、それを「洋画」を描くために用いたのである。

その過程で「日本画」と「洋画」の壁は取り払われた。藤田はその両者が連続するものであることを示し、豊かな表現の可能性を示唆した。

藤田は1949年羽田空港から日本を去る時に、「国際人となれ」と言い残して機上の人となったと伝えられている。

現在では日本の美術作家が世界各地で活躍しているが、彼らは日本の美の伝統と国際的表現を結びつけ、独自の境地を実現することで高い評価を受けている。

藤田はそうした美術作家たちの先駆となったのである。
                                     (著者 清水敏男)

只今、制作中(14)「洗礼者ヨハネの首を受け取るサロメ」部分

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昨日、今日とベルナルティ・ルイーニの「洗礼者ヨハネの首を受け取るサロメ」模写の修正をしていました。

以前の絵とはだいぶ異なってきたように思います。(以前の絵の参考記事  http://blogs.yahoo.co.jp/atoriemimiran/34001999.html )

もう少し時間をかけて、見つめ直し完成にしたいと思っております。

映画 慕情

映画「慕情」

映画の原題は「Love is A Many-Splendid Thing (恋はすばらしきもの)」。1955年、米国・20世紀フォックス制作のカラー作品。中国人の父とイギリス人の母を持つ混血児の女医、ハン・スーイン女史の自伝的小説「A Many-Splendid Thing」を映画化した。原題と同名の主題歌(サミー・フェイン作曲、フランシス・ウエブスター作詞)が世界的に大ヒット。ジェニファー・ジョーンズの熱演と香港ロケの美しさが話題となり、大ヒットした。
 ストーリーの舞台は、朝鮮戦争(1950年)が起きる直前の香港。スーインは国府軍の軍人だった夫が戦死して以来、香港の大病院に勤務。仕事いちずに打ち込み、誰からも慕われていた。その未亡人としての寂しい生活に転機が訪れたのは、病院関係のパーティーの夜。スーインがテーブルに置き忘れた扇と手袋を見付け、手渡してくれたことをきっかけに、米国人の新聞記者、マーク・エリオットと知り合った。
 やがて二人は恋に落ち、病院の裏のビクトリア港を見下ろす丘で逢う瀬を重ねるが、マークにはシンガポールに妻がいた。このマークの妻はすでに愛し合っていないのにもかかわらず、離婚を拒み、別れようとしない。それでも、スーインは「結婚は問題ではない。私たちの愛こそ大切」とマークにすべてをゆだね、二人はひたむきに恋を貫こうとするが、運命の神は二人の間を引き裂いてしまう。マカオへと旅行に出掛けた二人のもとに、マークが勤める新聞社から「朝鮮戦争の取材に行け」との電話が入ったのだ。マークは後ろ髪を引かれる思いで朝鮮半島へと旅立っていった。
 スーインのもとには、戦場に飛んだマークから次々と手紙が届いた。スーインもせっせと返事を認めた。だが、ある日、マークが戦死したことを報じる記事が新聞に載った。スーインは一人、よろめくようにしてマークと楽しい時を過ごした思い出の丘に登り、マークの幻を追って涙を流し続ける。「死のう」……。だが、その思いを押し止めたのは、マークが繰り返しスーインに語った理想の言葉だった。「僕の分も長く、幸せな一生を送って欲しい。僕との真実の愛を、医学を通じてたくさんの人に広めて欲しい」。
<スタッフ>
製 作 : パデイ・アドラー
原 作 : ハン・スーイン
脚 色 : ジョン・パトリック
監 督 : ヘンリー・キング
音 楽 : アルフレッド・ニューマン
作 曲 : サミー・フェイン
撮 影 : レオン・シャムロイ

<キャスト>
マーク・エリオット … ウィリアム・ホールデン
ハン・スーイン … ジェニファー・ジョーンズ
パーマー・ジョーンズ … トリン・サッチャー
アデライン・パーマー・ジョーンズ … イソベル・エルスム
ロバート・ハン … リチャード・ルー
ノラ・ハン … スー・ヨン
医師タム … マレー・マシスン
アン・リチャーズ … バージニア・グレッグス
スーチェン … ドンナ・マーテル
スザンヌ … ジョージャ・カートライト

夜9時からスカパーで映画「慕情」を見てた。テーマ曲には聞き覚えがあり、素敵な曲だとかねがね思っていたが、 ストーリーを最初から最後まで見たのは初めてです。

放映予告でスカパー雑誌にチェックしておいたので、忘れず今日鑑賞しました。

そしたら、私たちの関係にの少なからずオーバーラップしてしまい、はなはだ興味を引きました。

私とかぐや姫と付き合いだした頃は、私には日本に妻と二人の娘がいまして、離婚話をしだしてから正式に離婚成立までに3年かかりました。

ある時は、裁判所の調停のために指定の日時に中国から日本に午前の便で帰国し、調停の話をして翌日の便で中国へ行ったりと、はなはだ緊迫した時間を過ごしたこともありました。

映画のラストシーンとは今のところ異なり幸いですが、こんな悲恋物語を見て自分たちがオーバーラップしてしまったので、記事にしてみました。

只今、制作中(13)「フローラ」

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パルマ・イル・ヴェッキオ作「フローラ」の模写開始。

パルマ・イル・ヴェッキオ(Palma il Vecchio, 1480年 - 1528年7月)はイタリアのヴェネツィア派の画家。

パルマはベルガモ近郊のセリーナに生まれた。16世紀のはじめ頃、ヴェネツィアに行き、評判によれば、ロレンツォ・ロットの仲間かつ競争相手となった。

また、ティツィアーノの弟子に近い存在でもあった。また、パルマの初期の作品を見ると、ジェンティーレ・ベリーニの影響も見られる。一方で、ボニファーツィオ・ヴェロネーゼ(en:Bonifazio Veronese)の師匠であり、ジョヴァンニ・ブッシ(en:Giovanni Busi)に影響を与えた。

3年前にも一度F10号のサイズで模写して絵ですが、(関連記事 http://blogs.yahoo.co.jp/atoriemimiran/33897072.html )私が若い時から可愛がっていただき、お世話になっている、日頃から「人生の師匠」と呼応している先輩が、気に入っている絵なので、お譲りしてしまい今は手元にないのですが、この絵をどうしてもミーミーラン美術館に収蔵しておきたいと思い、再度模写に挑戦です。

今回はP15号サイズの先回よりもひと回り大きく、顔がほぼ実物大くらいの大きさです。
私の好きな女優のメリル・ストリープ似の細い鼻、大きな瞳、白いやわ肌、まさに「フローラ」にふさわしい花の女神。

今週の初めに手がけ出し、只今下塗りが終わったところです。
全くのベタ塗り状態で何だか訳のわからない感じですが、これが乾いてから細部の作業にかかっていきます。
ある程度、仕上がったらまたアップいたしますね。

リュベンス(ルーベンス)の模写画

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リュベンスの模写について、こんな記述がある。

リュベンスは王室コレクションのティツィアーノを1つ残らず模写したと伝えれている。
多少誇張もあるかも知れないが、リュベンスの遺産目録や現存する作品から推察するに、まんざら大げさな話でもなさそう。

言うまでもなく、他人の作品の模写は画家の修練の通常の手続きであり、リュベンスが誰よりも熱心かつ勤勉に実行したものであった。

模写に関して普通は、修業中の若い画家が手掛ける活動だが、円熟した忙しい画家がここまで熱心に模写に取り組んだのは、前代未聞である。
そして、ティツィアーノ作品とのこの出会いは、以後リュベンスの絵画に最大の影響を及ぼすことになった。

晩年10年間のリュベンスの旺盛な創作力はまさに驚異的であり、数多い作品は輝かしい技術、物語や風景への新たなアプローチを特徴としている。ティツィアーノがその最大の霊感源であった。

写真上部それぞれ4作がいずれもティツィアーノの作品で、下部がリュベンスが描いた模写画です。

「しかし、両者の相違は明らかだ。リュベンスの用いている色彩は、全体としてティツィアーノよりもやや明るめである。
材質感、とりわけ肌の質感の描写では、リュベンスのほうが触覚性を強調しており、肉体表現はティツィアーノの場合ほど理想化されていない。」と本には解説されている。
(岩波 世界の美術 リュベンスより)

ティツィアーノの本画とリュベンスの模写画、間違い探しみたいな感じですが、暇があったら違いを比較研究してみて下さい。

ついでに掲載いたします。最後の2作は私が描いたティツィアーノ作「マアグダラのマリア」とリュベンス作「スザンナ・ルンデン」の模写画です。
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