泰西名画模写画とオリジナル絵画、コレクションの作品紹介

10年以上続けてきたヤフーブログから移行してきました。 画家になりたいという、若い頃からの夢をかなえたくて、独学で模写から勉強しています。 また、好きな人物画を主に、有名無名を問わず気に入った絵画収集にも努めています。 他にも日々お出かけの日常などを紹介しています。

2008年09月

オリジナル絵画

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今日は、私にしては大変珍しい静物画です。

これら作品も1973年に描いたもの、この2作品以外にもう1点、今までに3作品しかこういう作品は描いたことがありません。

昨年の夏から洋ランの栽培に凝りはじめ、いざ描こうかなと思いきや何故か、キャンバスはまだ白紙のままです。

この冬、自分で育てた花が開花すれば心境が変わるかもしれません。

クロード・モネの模写

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クロード・モネの模写画2作です。

今日は先に紹介した佐伯祐三の画風とは異なる、印象派の代表格モネの絵を模写しました。

制作年度はやはり1973年(私22歳)です。モネの模写はもう1作大きな絵で(F40号)睡蓮を描いたが今手元にはありません。

オリジナル絵画

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この絵は本来9月9日に掲載するべきところ、忘れてしまいました。

ちょっと、コテコテの油絵が続いたのでお口直しに爽やかな絵画を一枚。

私が37歳、初めて海外に出た時に描いたパリ市庁舎のスケッチです。

佐伯祐三の模写

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1973年(私22歳)制作、佐伯祐三の模写画です。

当時、油絵とはキャンバス上に感情、感傷、苦痛、苦難全てを

吐き出し表現するのが優れた作品だと思い、佐伯祐三の模写を試みた。

若いころは逆境にめげず、力強く凛として生きる佐伯祐三、

病魔貧困に渾然と立ち向かい、師匠のヴラマンクに絵をけなされ

これでもか、これでもかと苦悩と格闘する彼の生きざまに何故か

憧れた。

水彩素描

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制作日が ’95・12・1と記してある。

昨日御覧に入れた石膏デッサンを描いていた時期から更に時間が経過して、ホテルでの仕事も1年以上になり慣れてきた。当時の日記を読み返しても、ようやくホテルでの自分の地位が確保でき、かなりマイペースで仕事がはかどっている様子。

ホテルの近くに呉山路と言う路地がある。元々ここは骨董品の商店が立ち並ぶ商店街で、夜になると杭州特産のお茶やシルク製品の衣類、下着、ネクタイ、スカーフなど、更に観光客相手に工芸品や書画、骨董を売る類の露店が立ち並びいっそう賑やかな路地になる。

今日のモデルは、ここで手に入れたラクダの骨董です。

石膏デッサン

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今日は1995年に描いてた石膏デッサンを紹介いたします。

前年の1994年10月から日中合弁ホテルの日側代表として単身赴任することになり、年明け1月頃から描いた作品。
ホテルでの仕事は、経営責任が伴うため重責ではあるが、業績は毎日毎日の詰み重ね、自分流で率先した。ホテルの良し悪しはお客様に対する真心サーブスしかない。一人ひとりのお客様にご満足していただくために、まず自分がサービス精神の見本を示すことしかなかった。

最初の一年は、無休宣言をした。朝は6時に起床フロントでその日の予約状況チェックし、軽い朝食を済ませてからロビーでお客様のお見送り。団体客にはドアーボーイ、ロビーマネージャー共々バスが去るまで礼を欠かさない。日本旅館の礼節あるサービス態度に努めた。

毎日8時半からは幹部会議、9時に総経理室に入ってちょっと一息、お茶を飲んで日本語通訳の秘書と今日のスケジュール調整。昼食、夕食は毎日のようにレセプション兼ねての宴会が多い。

夜10時までは、背広は脱がない。これは私自身の戒めとして貫いた。そして、宿泊タワー中階12階の自室で休む。こんな毎日のストレス発散は、週に2.3回レストラン終了後、若い従業員を誘ってのディスコ通い。当時市内にディスコが3件あり交互に、また従業員も今日は日本食、次は中華、そして西洋料理、喫茶部と分け隔てないよう気を使い、ディスコ好きの総経理の異名をあえて取った。

ホテルでの仕事の話は、まだまだいっぱいあるがまた機会があった時に書くとして、こんな毎日の中でも午後スッーと予定が空いて、自室に戻った時、気ばらしに鉛筆で絵を描いたりしていた。本来は油絵も描きたかったが、臭いが他室にもれてお客様の迷惑になると思って、中国で在職中は油絵は避け、水彩か墨を使った。こんな作品も次回から紹介していきたいと思います。

オリジナル絵画

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今日は、老婆(中国語、妻の意)の誕生日、であるのと同時に午後の便で帰国する。

彼女と出会ってちょうど10年、今頃の時期で「もうすぐ私の誕生日。」と言われ友人共々ホテルの展望レストランでお祝いをした。

当時、私は日中合弁ホテルの副総経理(副社長)で中国に単身赴任。友人である中国人の貿易商厳さんが連れてきて、ホテルの展望レストランで一緒の席に着いたのが、知り合ったきっかけでした。

彼女が言う誕生日とは、陰暦の出生日で中国では、こういう祝い方もあるようだ。中秋の名月、満月の日に生まれた彼女の名前は、越月(Yue Yue)。月から来た姫のようで私には眩しすぎる。

日本に来てからはあまり良い事が続かず、私達は苦いスープを浴びたが、生き延びるために苦いスープも
飲んだ。人生にはこんな事もあろうかと不思議な位、想像外の災いが重なった。

でも、今日は二人でおいしいスープを飲んで誕生祝いをするつもりです。

秋ですね~、鼻歌が出てきます。  「小さい秋、小さい秋、見~つけた・・・♪♪」

僕は「小さい幸せ、小さい幸せ、見~つけた・・・♪♪」


午前11時25分 緊急速報:かぐや姫のパスポート、期限切れで月(上海)から帰れず。

              残念ながら、小さい幸せ飛んでった~♪♪

クロッキー2作

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今日は素描シリーズとして、クロッキー2作を紹介いたします。

'92年のサインがあるので、今から16年前あるカルチャー教室クロッキー科へ通っていた時の作品です。上の作品は先生から良い評価をいただき、カルチャー教室パンフレットの表紙絵になり、嬉しかった。

そしてもっと若かった19歳の時のことを思い出します。アート専門学校での初めてのクロッキー時間に、裸婦のモデルさんから挑発され、顔が上げられなくて屈辱感を味わったことがある。今なら全く平気だが慣れるまでには随分(ホントかな?)時間がかかったもんだ。

朝から変なこと思い出してしまいました。 イヤァ~ 失敬、失敬!!

ピカソと黒田清輝の模写

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いずれも1971年の作品です。ピカソの素描と黒田清輝の素描、油絵の模写です。

年代からして私が20歳の時、アーアー随分昔から模写をしてたんだな~。

スケッチブックに描いた素描の模写は、紙にシミが出てきてしまった。
そういえば、私の顔にもたくさんのシミが出てきている。生まれてからこの方、既に半世紀以上、随分長い時間が経過したんだな~。

小磯良平の模写

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尊敬する小磯良平画伯のパステル画2作です。

作画年代が1980年と記してあるので、今から28年前の作品、そんな年代何か他人事のような気もするが、今こうしてブログを綴っていると、何もかも懐かしく思い出す事ができます。

出来栄えもかなり忠実であると思いますし、結構お気に入りの作品です。
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