泰西名画模写画とオリジナル絵画、コレクションの作品紹介

10年以上続けてきたヤフーブログから移行してきました。 画家になりたいという、若い頃からの夢をかなえたくて、独学で模写から勉強しています。 また、好きな人物画を主に、有名無名を問わず気に入った絵画収集にも努めています。 他にも日々お出かけの日常などを紹介しています。

2008年09月

オリジナル絵画

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アラ、こんな絵も描いててたの?てな感じの鉛筆画。

ほとんどイラストの分野に入れた方がいいのではないでしょうか。

はたまた、理想の女性でも捜してたのかな・・? かな・・??


1993年は、翌年から中国へ単身赴任、ホテルの責任者として

派遣される話を、具体的に煮詰め準備中の時間だった。

年齢42才で、長年携わってきたサービス業の集大成とも言える

ホテルの管理責任者の地位は、重責ではあるが一度は経験してみたかった職責。

5年間勤務していた広告代理店とも当初の予定よりも3ケ月延長勤務して円満退社し、

その後、名古屋の老舗ホテルで約1か月間研修をして、次に係わる仕事の準備に取り組む。

その間には、日中合弁会社日方の岐阜にある本社での打ち合わせや会議に出席したり、

また当時合弁ホテルから派遣されいた中国人研修生6名と本社の子会社のラドン温泉施設で

行動を共にし、中国へ赴任した時の有力な味方の人材にと、余念のない多忙な1年でした。

この時点で、もう絵描きの夢は捨てよう。ついでに日本も捨てちゃおうと思ってた時期でした。

新作オリジナル絵画

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今日は明日から開催の「市民展」出品作品を紹介いたします。

タイトル:夢幻    サイズ:F30号

会場;荻須記念美術館 www.city.inazawa.aichi.jp/museum/index.html

会期:9月30日(火)~10月5日(日)午前9時30分~午後5時
                    (ただし5日は午後4時まで)

ところで、我がかぐや姫(???初めて記事を見る人は、9月14日のブログ記事を参考に)

明日の夜の便で、中秋の名月から半月遅れで、月から帰還の予定。

でも心配なのが、大型台風15号の進路先、今の予報だと30日は本州に接近予測。

飛行機がセントレアに着かない可能性もあり・・・アヤ~ヤヤ~・・・。

オリジナル絵画

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またまた旧作が出てきました。1978年作で私が27才の時代です。

ごくごく一般的な家族4人のサラリーマン家庭、でも絵の上では、

随分迷いに迷っていた様子が、作品から見えてくる。

ランダムに展示してみます。

オリジナル絵画

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今日は、パステルで描いた作品です。ところどころ水彩で着色しました。

オリジナル絵画

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今日は、水彩画と鉛筆画で同じモチーフでも比較すると印象が異なり、

面白いと思い掲載いたします。

最近は、多くの方々からコメントを頂けるようになり、

嬉しくてパソコンを見ている時間が長くなりました。

そして、コメントの返事を書くのも、相手の方の思いや姿を想像しながらの時間として、

一日を有意義に感じる今日この頃です。

これからも多くの方々と交流できることを期待しながら、

既にブログ仲間として交流させていただいている皆様に、

感謝いたします。

どうかこれからもよろしくお願い申し上げます。

オリジナル絵画

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今日も1983年作、今思うとこの頃が一番やる気があったのかも?

この年代の作品がゴロゴロ出てきた。

私は32才、あるフランチャイズ本部の開発担当を離れ、別会社の設立責任者として、

ある新製品の販売代理店を任された。この時は新製品の売り込みで、代理エリアの各地を

訪れ商社や卸売企業を訪問したり展示会での商品紹介に明け暮れ、出張も多い時期でした。

飲み屋で「絵が好きで絵を描いてます。」と話しても誰も信じてくれない。

「ウソでしょ~、銀行員か普通の会社員でしょう。」としか言われなくなって、

妙に寂しく感じていました。「やはり、絵描きは諦めるしかないか・・・。」

オリジナル絵画

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1982年(私21才)の作品です。

この頃は、4畳半一間の下宿生活。昼間は画材屋で働き、

夜はこの画材屋が経営するNアートスクールに通った。

当時、画材屋での給料が月2万円位で安かったが、

社員の特典として、Nアートスクールの授業料が無料である。

当然こんな環境だから、私と似た志の仲間がすぐに出来た。

画材屋では、画家さんから画材の注文を受け届けたり、

小売店へ画材を卸売する営業の仕事に在りついた。

普段、滅多に他人には出入りさせない聖域のアトリエへ、

仕事柄自由に出入りできる事が、何よりの楽しみで、

当時画壇の大御所のアトリエへも注文があると、

絵具やキャンバスを届けに行くのです。

時には奥様からお茶を頂いて、先生と話が出来る事が

ただただ嬉しくて、「いつか、オレもこうなるぞ~。」と

大きな夢を膨らませていた時期でした。

オリジナル絵画

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今日は再び「西洋人形シリーズ」に戻します。

私生活は、娘が二人出来てごくごく一般的なサラリーマン家庭の典型だったでしょうか?

さして波乱もなく、娘も9才と7才でしたから小学低学年。この頃の一番の思い出は、

休日の朝は、自転車で栄(名古屋中心部)のマックへ娘二人を連れてモーニング。

その後、車で平和公園へ行き、空き地でローラースケートをしたり、必ずどこかへドライブ

するということが、楽しい事でもあった。

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いずれも1972年の作品です。私21才の時でこの後、暫く絵が描けない生活が続く。

なぜなら、翌年から私生活に大きな変化を控えていたのである。

私22才で、8才年上の姉さん女房と一緒になり、これまでの4畳半の下宿生活から

6畳二間のアパート生活に移転。当時流行っていた、かぐや姫の「神田川」の詩そのもの

の暮らしを始めたのです。何よりも生活費を得ることが第一で、レジスターの営業マンとして、

夜遅くまで働く毎日で、とうとう絵描きの夢は断絶。早くに家庭が築けた喜びと裏腹に

絵を描く夢を捨る寂しさを背負った複雑な毎日を過ごす羽目になる。

これから10年位して、少し描く余裕が出てきた作品が、昨日紹介している人形たちです。

オリジナル絵画

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今日からしばらくの間、「西洋人形シリーズ」で紹介していきます。

これらは1983年、私が32才の時に描いていたものです。

この頃は、あるフランチャイズ本部の営業開発の仕事をしていまして、

絵の方は、もちろん余技で休暇の時くらいしか描いておりませんでした。
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