突然ですが、今朝の夢の話です。
板谷房という画家をご存知でしょうか?

たまたまですが、夢に出てきました。そして「私の絵を模写しても良いよ」と許可が出た夢です。
板谷房画伯の一言がその後の私の人生の希望にもなりましたし、大きな影響力のあったお人です。
詳しくはこちらのブログ記事をご覧ください。
インターネットの世界は摩訶不思議な世界で、何と画家の甥っ子さんからコメントも頂戴しました。
そして今日改めてネットで検索していたら、1971年に亡くなられていたことを知り、私がお目にかかったのは1968年、画家が45歳の時でしたから、その余りにも短かった画家生命に無念さを憶えました。
今朝、改めて当時の画集を持ち出し、何を模写するか探してみたところ、わずかなカラー写真の画集の中から、これを描くことに決めました。

板谷房、英名&仏名Foussa Itaya 2年間の教職を経て1952年東京美術学校卒、清水市の中学で再び教鞭を取る、この為静岡生と言われる。静岡新聞創業者大石氏の支援で1953年1月渡仏、物心両面での支援は生涯続く。翌年セーヌ画廊で藤田と猫展。その翌年、生活費にも事欠く中、エマヌエル=ダビットの画廊に言葉も通じぬまま飛び込み、身振り手振りで絵を売り込み認められ初個展、以来このユダヤ人画商が買い取った作品数は18年で500点、仲は板谷が死ぬ迄続く。徐々に頭角を現した板谷にパリの美術界に明るかった福岡、西日本新聞社長青木秀(しげる)が注目、パリに特派員を送る。1956年、福岡大丸、大阪阪急、静岡松坂屋、東京松坂屋で日本初の個展。
ミーミーラン
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