1994年の10月6日に予定通り、中国の杭州市にある日中合弁ホテルの日本側責任者として日本人一人、400名の中国人従業員を相手にホテル責任者の仕事に赴きました。
現地での日本人長期滞在者や観光客の評判は良いホテルとして有名ではあったが、稼働率を高く維持していくことには、結構骨が折れました。
サービス業としての認識のレベルの問題や、我がまま観光客の苦情も含め、全て一人で解決してきた。
孤独な単身赴任のしがない自分を救ってくれたのは、出会いからすぐに深圳に引越した遠距離恋愛の彼女の存在。
飛行機で2時間かかる長距離を、3カ月に1回のペースで会いに来てくれた。
最後は私の我がままと思いやりのなさが仇になり別れてしまいましたが、時々思い出す素敵な人でした。
You Tubeでご覧になられる方がはっきりした映像です。