今日の夕刊各紙で、私の好きな藤田嗣治に関連した下記内容の記事が取り上げられていました。
「画家・藤田嗣治さんの資料6000点を東京芸大に寄贈」」
乳白色の裸婦などで知られ、20世紀前半のパリで活躍した画家・藤田嗣治(1886~1968年)が戦前に書いた日記や写真など約6000点の資料が、母校の東京芸大に寄贈されることが9日までに決まった。
一昨年に亡くなった妻の君代さんが保管していたもので、相続人が「分析した上で公開してほしい」と弁護士を通じて同大に依頼していた。
日記は30年から68年にかけて、手帳やノートなどに書かれていた。戦時中を含む41~46年のものはなかった。このほか、パリでの日常や旅行先での様子を撮影したスナップ写真や、16ミリフィルムなども含まれるという。同大は2011年度から資料の整理と詳しい分析を始める予定。
東京芸大大学美術館の古田亮准教授(日本美術史)は「これまで一部を除き、日記のほとんどは知られていなかった。画家の肉声が書かれているので、画業の背景や生涯をたどる上で貴重な資料だ」と話している。
藤田は1913年に渡仏後、独自の画風を確立してエコール・ド・パリの花形となった。帰国後、太平洋戦争中に戦争画を多数描いたことで戦争責任を問われ離日、フランス国籍を取得した。
「画家・藤田嗣治さんの資料6000点を東京芸大に寄贈」」
乳白色の裸婦などで知られ、20世紀前半のパリで活躍した画家・藤田嗣治(1886~1968年)が戦前に書いた日記や写真など約6000点の資料が、母校の東京芸大に寄贈されることが9日までに決まった。
一昨年に亡くなった妻の君代さんが保管していたもので、相続人が「分析した上で公開してほしい」と弁護士を通じて同大に依頼していた。
日記は30年から68年にかけて、手帳やノートなどに書かれていた。戦時中を含む41~46年のものはなかった。このほか、パリでの日常や旅行先での様子を撮影したスナップ写真や、16ミリフィルムなども含まれるという。同大は2011年度から資料の整理と詳しい分析を始める予定。
東京芸大大学美術館の古田亮准教授(日本美術史)は「これまで一部を除き、日記のほとんどは知られていなかった。画家の肉声が書かれているので、画業の背景や生涯をたどる上で貴重な資料だ」と話している。
藤田は1913年に渡仏後、独自の画風を確立してエコール・ド・パリの花形となった。帰国後、太平洋戦争中に戦争画を多数描いたことで戦争責任を問われ離日、フランス国籍を取得した。