今日は暖かな陽気で、各所で桜が満開、今夜あたりは桜の下で、チョット一杯なんて方も多いのでは、ないでしょうか。
さて、私も今日は気分転換に近場の桜名所へ、自転車で出かけてみました。
♪サイクリング、サイクリング、ヤッホー、ヤッホー♪♪(こんな歌、今どき知らない人の方が多いでしょう)気分で、カメラ片手に、カメラ親父が出陣です。
家を出てから15分程、五条川の堤には昔から多くの桜並木がある。



こちら一部分満開だが、全体ではまだ5~6部咲きの感じでした。早くも鯉のぼりが川の上を泳いでました。
そして、次に向かったのは清州城。小学生の時、遠足で歩いて来た覚えがあるが、その時はお城はなく、城跡に公園があっただけだった。
清州城の説明には下記の内容が・・・。
清洲城は織田信長が尾張統一を成し遂げ、天下への飛躍を策した城だ。1555年守護斯波家の乱れに乗じて清洲城を奪った信長はここを拠点として尾張の統一を果たした。
1560年桶狭間で今川義元の軍を破り天下へデビューしたのもこの城だった。
その後、岐阜・安土と拠点を変えたが、清洲城は一貫して織田氏のものだった。1586年織田信雄の城主の時に大改築が行われ東西1.6km、南北2.8km三重の堀に囲まれた大城郭となった。
1600年徳川家康が天下を掌握すると清洲城は徳川氏のものとなり、4男松平忠吉の病死後は9男の徳川義直が城主となった。しかし1607年には家康の命で名古屋に城が築かれ、清洲から藩士・寺社・町民が名古屋に移るよう命が下る。尾張徳川家は御三家の筆頭とされている。
現在は城跡は清洲公園として整備され、五条川の対岸には模擬天守閣が築かれている



天守閣の中には、緒田信長が桶狭間の戦いにいざ出陣の模様が、人形で再現してある。

天守閣の展望からは、名古屋市街地や近くを通るJR線、新幹線が見られます。もしかして新幹線乗車中、名古屋から大阪に向けての下り線で、ご覧になられた方もいらっしゃるのではないでしょうか。名古屋から2~3分で右手に見えるはずです。

その後、美濃路をブラブラとペダルをこぎこぎ、2時間強、日頃の運動不足を解消した午後でした。
