「ワイエスを訪ね直接聞くことが出来た」彼の言葉より引用
病弱だった子供のころ半日を家庭教師に就き、半日を父のアトリエで過ごしました。父は、「芸術家は、技術をはやく身につければ、それだけはやく一人前になる。有名な画家でカレッジに通ったものはいないよ。」と言うのが口癖でした。カレッジで学んでいたら、どうなっていたでしょう。きっと時間を無駄にしていたでしょう。
まず、ペンとインクでたくさんの素描を描くことで、対象のもっている質感を出すことを学びました。そして水彩で思うままに描けるまでになりました。
マクベス画廊での個展は、即日完売で、批評家にも好評でしたが、(ワイエス20歳の時)私は自分の水彩を見て、何か物足りないものを感じていました。そこでデッサンの初歩からやり直すことにしました。
父は熱心にアンドリューを指導した。そしてある日もう十分だと知ると、「これからは見たものを描くのでなく、そこからつかんだ記憶を頼りに描くように」と言った。
目に見えるものを見えるままに描く技術に努めていたワイエスは、対象をそっくりに描くだけでは、そのものが引き起こす感動を画面に表現できないことに気づく。記憶となった現実を描くためには彼自身の新たな技法が必要になった。
ちょうどそのころ、義兄のピーター・ハードから習ったテンペラが、まさにワイエスの探していた技法だった。一筆一筆、織物を織るように色を重ねていくテンペラは、作品を仕上げるのに長い時間がかかる。ワイエスは、その根気のいる作業の過程で、彼のモチーフを深めていった。
絵を描くきっかけは、胸がいっぱいになったときに生まれます。それはほんの一瞬の出来事です。ここに「恋人たち」があります。これはヘルガに頼んでポーズを取ってもらっていたときに、少し疲れたので休憩することにしました。そのとき木の葉が吹き込んできたのです。一瞬のことでした。それを私は、何か月もかかって描きました。
ワイエスが同じ主題を繰り返し描くのは、より多く知れば、それだけよく描けるからだという。
新鮮な感動をもたらすような出会いは、なかなかありません。見慣れたものからも発見はできます。自分がよく知っているものに立ち返ることで、そこに新しい感情を見出すのです。
ワイエスは、心の奥深い部分の感情が動かされて初めて制作にとりかかる。見る者は、その感情に知らず知らずのうちにとらえられ、とりこになっていく。
今までずっと見てきたこの丘を描くとき、そこにいろいろなものを込めて描きます。今までの人生のすべて、そして愛をね。大切なのは、対象にたいする私の感動です。
また制作中の自分を見せないことでも有名だ。制作は、非常に個人的なことです。私のしていることにあまりかまわれたくありません。完全に自由でいたいと思います。注文された作品を描くのは苦痛です。幸い描きたいものだけ描いて生活できますので、注文は受けないのです。
私が打ち込んできたものはリアリズムだと思います。でも自分を写実主義の画家だと思ったことはありません。つまり、描く対象は具体的なものですが、写実的には描いたことはないということです。
突然、ワイエスは、「恋人たち」を逆さにしてみせると、茶目っけたっぷりな笑顔で言ったどうです。いい絵でしょう。よい作品は、どれもみな抽象的な性質をもっています。作品が優れていれば、上下逆さまでも見るに耐えます。
ワイエスにとって、抽象と具象という分け方が、すでに古い固定観念のようである。
どうして両面あったらいけないのでしょうか。最も保守的なものが、最もラジカルなのです。将来、まだ私に力が残されていたなら、興味深いものができるでしょう。それは具象的であり、しかも抽象的なものになるはずです。