略年譜
• 1922年 上京し川端画学校洋画部で藤島武二に師事。
• 1927年 「白き壺の花」で二科展に初入選
• 1934年 初の個展を開く。
• 1936年 二科会会員に推挙される。
• 1938年 渡欧。パリについた画伯は冬の間毎日のようにルーブル美術館に通い詰めた。
そして数多くの名画を見ているうちに、すぐれた古典の模写を思いついた。
まず、手はじめに選んだのはレオナルド・ダ・ビンチの「受胎告知」、
レンブラントの「聖家族」、アングルの「トルコ風呂」の三点である。
しかし前二点は完成したものの、アングルの「トルコ風呂」は戦争による
帰国のため模写をあきらめたという。
ダ・ビンチの「受胎告知」は 画伯の気に入った作の一つで、帰国後、
自宅の食堂の壁に掛け、毎日ながめていたという。(一番上の写真)
• 1939年 第二次世界大戦の勃発に伴い帰国。
• 1940年 陸軍省嘱託として小磯良平等と共に中国へ従軍。
• 1942年 「山下、パーシバル両司令官会見図」で帝国美術院賞受賞。
• 1943年 「海軍落下傘部隊メナド奇襲」で朝日賞受賞。
• 1946年 金沢美術工芸専門学校講師に就任。
• 1947年 熊谷守一、栗原信、黒田重太郎、田村孝之介、中川紀元、鍋井克之、正宗得三郎、
横井礼市と共に第二紀会を結成。
• 1955年 東京教育大学非常勤講師に就任。
• 1966年 芸術院会員となる。
• 1971年 金沢美術工芸大学名誉教授に就任。
• 1974年 10月13日腸閉塞による心臓衰弱で死去。(享年69歳)
私は、彼の作品に出会ったころの1970年から晩年までの4年間の作品が好きです。色彩が鮮やかで華々しく強く魅せられてしまうのである。