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画家の聖域「アトリエの画家シリーズ」第2弾として、ジョアン・ミロ(Joan Miro)をとりあげます。

何か記号のような形や線で表現された、幼児的な絵画だが、そこに込めた表現からは、何か詩的にも、あるいは宇宙からのメッセージとも受け止められるような、独特の絵画で、一度見たら忘れられない、強い個性です。

スペイン人で1893年生まれ、その生涯は、波瀾もあったが、90歳で亡くなるまで、あの純粋な子供のような表情には、見習いたいところがある。


ーーージョアン・ミロの解説ーーー


ジョアン・ミロ(Joan Miró, 1893年4月20日 - 1983年12月25日)は20世紀のスペインの画家。カタルーニャ地方出身である。

ミロはパリでシュルレアリスムの運動に参加したことから、シュルレアリストに分類されるのが通例だが、彼の描く人物、鳥などを激しくデフォルメした有機的な形態、原色を基調にした激しい色使い、あふれる生命感などは、古典的・写実的描法を用いることが多い他のシュルレアリストの作風とは全く異なり、20世紀美術に独自の地位を築いている。

ミロの作風は同じシュルレアリストでもマグリットやダリらの古典的・写実的描写法とは全く異なる自由奔放なものであるが、ブルトンは、こうしたミロの絵画こそが真のシュルレアリスムであるとして共鳴し、ミロはシュルレアリストのグループに迎え入れられることとなった。

ミロは「画家」という肩書きにこだわって狭い世界に閉じこもることを嫌い、パリでは作家のヘミングウェイやヘンリー・ミラーなどとも交流があった。

1930年代からはバルセロナ、パリ、マリョルカ島(スペイン領)のパルマ・デ・マリョルカにアトリエを持ち制作した。

1944年からは陶器や彫刻の制作を始め、作品の幅を広げていく。

1956年にはパルマに大規模なアトリエを造り、作品の規模も大きくなっていく。また、このアトリエでは絵画以外の分野の職人との共同制作を行い、陶器、壁画、彫刻などを次々と生み出した。

晩年にはコンクリート製の大型彫刻や壁画などのパブリック・アートの大作を数多く残している。

1970年には大阪万国博覧会のガス館に陶板壁画『無垢の笑い』を制作するため来日した。

1983年、アトリエのあるパルマで死去した。