泰西名画模写画とオリジナル絵画、コレクションの作品紹介

10年以上続けてきたヤフーブログから移行してきました。 画家になりたいという、若い頃からの夢をかなえたくて、独学で模写から勉強しています。 また、好きな人物画を主に、有名無名を問わず気に入った絵画収集にも努めています。 他にも日々お出かけの日常などを紹介しています。

備忘録

小澤征爾

昨日は小澤征爾さんが今月6日に東京自宅で亡くなったというニュースが、世界中を震撼させる訃報記事として報道されました。

世界中から深い悲しみのメッセージが寄せられ、改めて故人の偉大さに心震えます。

個人的に小澤さんのカッコよさに憧れ、若くして貨物船に乗って渡欧、スポンサー企業(スバル)から譲り受けたスクーターに乗って、ヨーロッパで指揮者コンクールを荒らしまわった痛快なエピソードが気に入っていました。

昨日は、ほとんどの時間YouTubeで小澤さんのドキュメンタリーや対談番組を見て過ごしていました。

その中から小澤さんが「平和への思い」若い次の世代に伝えたいことを「人間のやさしさだ」と語ります。

心に残る言葉として紹介いたします。時間に余裕のない方は、番組後半の8分10秒からだけでもご覧ください。



あわせてお読みいただきたい記事がこちらです。




今日のYahooニュースより
6日に心不全のため東京都内の自宅で死去した小澤さん。看取った征良さんが「報道ステーション」のキャスター、大越健介氏(62)に臨終の様子をメールで明かした。放送では大越氏が要約して読み上げた。 文章は「2月5日の夜は大雪で、いつもより遅くの時間まで大はしゃぎして、ガヤガヤワイワイ、父のベッドの近くで笑ったり喜んだりしていました。父はうれしそうな顔で穏やかに目をつぶっていました」と、家族と一緒にいた亡くなる前夜の様子から始まる。 「『I LOVE YOU』と、いつものように寝る前に手をさすったら、私の指をギュッと握り返してくれて、目をつぶっていても『分かっているよ』と合図してくれました」と克明に回想。天国へ旅立つ瞬間を「全く呼吸が乱れたり苦しそうな様子もなく、そのまま寝て逝った感じです」と振り返った。

心に残る文章

今日から「旅サラダ」MCの神田正輝さんが復帰、比較的元気な顔を見せてくれました。

ここ最近、芸能界で70代の有名歌手や俳優が亡くなる記事に、今週73歳の誕生日を過ごした自分もまた用心しなければと戒める毎日です。

以前から自分の心にぐさりと突き刺さる文章をブログのカテゴリ「備忘録」に残してきましたが、今日の日経新聞記事の「言葉のちから」(若松英輔)がやはり心にしみる文でした。

言葉のちから
人生において重要なのは前進よりも原点を見失わないことである。誤った方向にむかって前進することが少なくないことは誰でも知っている。
ある人は原点を初心と呼び、ある人は目的と言うこともある。現代ではしばしば、目的が見失われ、目標が重んじられる。初心は軽視され、慢心を体現したような人物が責任ある立場に就く場合もある。
私たちは学校だけでなく職場でも、目標を重んじる風潮の中で生きている。目標は多くの場合、可視的に設定される。たが目的は、不可視な姿で実感される。
目的の場合、実感というよりも予感という方がそのありように近い場合もあるのだろう。
このまま前進すれば評価は得られる。だが、目的からは乖離(かいり)するかもそれない。そう感じられたことも多くの人にあるのではあるまいか、目標の邁進(まいしん)することは、目的を見失っていく道程になり得る、目標は前進と結びつきやすい。誤った目標を目指して前進したところで必要なものを見出すことは出来ないだろう。
人生だけでなく創作において重要なものも前進ではなく、原点、目的である。

中川一政パレット

中川一政は、近代日本を代表する画家だが、文学者といってもよいほどの随筆も残している。そもそも表現者としての彼は絵画ではなくは、歌と詩から出発した。彼にとって重要だったのは表現それ自体出合って画家であることでも文筆家であることでもなかった。
そうした生き方だからなのかもしれないが、私は、彼が絵画をめぐってつむいだ言葉に分泌におけるかけがいのない示唆を見出す。
道に迷いそうになったときなど、画を眺めるように彼の文章を読んでいる。するとしばしば言葉に出会う。たとえば「画にもかけない」という彼九一歳になる年、世に送った本には、絵の具をめぐる次のような印象深い一節がある。
「師匠は苦労して自分になくてはならぬ絵の具を並べた。その苦労を今は一人一人がやらねばなりません。他人のパレットは役に立ちません。(中楽)人に教わったらすぐ出来ると思う事でも、間にあわせでない自分の仕事をしようとしたら矢張りそれだけの時間はかかるのです。その人のパレットが出来た時、その人の仕事が軌道に乗った時と云ってようでしょう。」
これが自分のパレットである、そう呼べるものが立ち現れるとき、その人は真の意味で画家になる。人からもらったパレットをどんなに巧みに用いてもその人の絵は生まれない。世の人は良い絵を画(か)くことに時間を費やす。だが、絵を画き続けることを志す者は、絵だけでなく自分のパレットを生むことにこそ注力しなけらばならないのだ、というのだろう。
まったく同じことが言葉にもいえる。心理学者の河合隼雄の表現を借りれば、心を支えている「たましい」と呼ぶべき場所に言葉を届けようとする者は、言葉のパレットと呼ぶべきものを生まねばならない。
パレットを売っている絵の具を置くだけでは画けない。それを自分の色にしなくてはならない。言葉も同じで、辞書に載っている言葉を数多く覚えるだけでは、人の「あたま」に届く言葉しか語れない。
辞書的な言葉でもよいではないかと思うかもしれない。だが、生きられた言葉ではない、知っただけの言葉を用い続けるもっとも大きな危険は自分を見失うことである。生きられた言葉━すなわち「生きた言葉」━は、その人と他者をつなぐだけではない。その人自身との関係も確かなものにする。
同じ中川の本に絵の具にふれたこんな一節もある。
「黒田清輝が云ったそうです。/絵具をまぜるに十分まで混ぜるな。六七分で止めよ。そうすれば画布へもって行った時十分になる。/十分まぜたら画布の上で十二分十三分になって色は死ぬ。」
文章を書くときも、同じである。書くことにおいて「混ぜる」とは、言葉と言葉を生きたかたちでつなぐことである。「十分まで混ぜる」とは、否定の余裕もないような明瞭な表現に固定することにほかならない。いっぽう「六七分で止め」るとは、言葉と言葉のあいだに沈黙、あるいは余白を置く、ということのなる。
難しいのは明白に語ることではない。読まれ、あるいは聞かれることによっていっそう意味が深まっていくような語り得ない場を生むことである。人が何かに出合うのはいつも、こうした不可視な意味の地平においてなのである。(批評家)

「安倍晋三回顧録」を読み終えて

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「安倍晋三回顧録」を読み終えて、

本書は472ページにわたり202010月から202110月まで衆議院第一議員会館1212号室で、計18回、36時間にわたって行われた未公開のインタビューを書籍化したもの。

今朝ようやく読み終えました。先週25日土曜日、日本経済新聞の読書覧「この一冊」にも紹介されていました。

 

亡くなられた現実があるにも関わらず、まだ生きれおられるような気がしてなりません。

優しい素敵な笑顔が印象的な安倍元総理大臣、民放にもたくさんご出演され、馴染みやすい存在、それでいて、国際的にも発言力を持ち、日本人として一番誇れる総理大臣でした。

 

トランプ元大統領との相性が良かったようですが、2019年国賓として来日、皇居で天皇、皇后両陛下とトランプ夫婦が会見するとき、「シンゾウは私と会うとき、いつもスーツのボタンをしているけど、私もしたほうがいいか」と聞いてきたので、「私の前ではしなくてもいいから、陛下の前ではボタンをしてくれ」とお願いしました。会見の冒頭では忘れていたみたいだけれど、その後、しっかりボタンを留めていました。

 

もうひとつエピソードを紹介すると、大相撲観戦後、六本木の炉端焼き店へ行くとき、「大統領専用車ビーストに同乗してもよいか?」事前のゴルフ場で伺ったら、シークレットサービスの反対を振り切ってトランプ氏がOK。発進後歩道にいた大勢の人が手を振るので「みんな手を振っているけど、シンゾウに振っているのか?それとも私に振っているのか」と聞いてきたので、「車の星条旗がたなびいているのだから、あなたに振っているんですよ」と答えた。すると嬉しそうにトランプも手を振るわけです。「でも、向こうから車内がみえないだろう」と言って、社内のライトをつけた。すると前に座っていたシークレットサービスが「ダメだ、電気を消して」とたしなめるのです。ビーストは2台で走っていて、どちらに大統領が乗っているのか分からないようにしているのですが、その意味がなくなっちゃうわけです。

するとトランプは「シンゾウ、大丈夫だ。この車は200発の弾丸を同じ場所に撃ち込まれても、貫通しないから」と自慢するのです。それに対し同乗していたメラニア・トランプ夫人が「201発目が来たら、どうするの?」と聞いて、みんなで笑いました。

トランプ氏の人間性がよく分かりますよね。

 

今国際情勢がきな臭い、いや現実にはウクライナ、シリアでは戦争が続く。各国指導者が自国の国益を表向きに正当化して国民に戦争参加させ、尊い命が奪われているのです。

所詮虫けらのごとく扱われている兵士たち。悲しいですね。人によっては虫けらにも尊厳をいだき、命の尊さを何よりも先に考える人もいるのに・・・。

 

最後のページは、国葬時の岸田文雄首相、菅義偉前首相、2022712日葬儀時の麻生太郎元首相、20221025日第210回国会衆議院本会議での野田佳彦元首相の追悼演説で終わっています。それぞれが安倍元首相に思いを寄せる弔辞を読むたびに涙がこぼれます。

ジョン・レノンの命日

今、BSプレミアムを付けたら「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」で「ジョン・レノンのイマジンは名曲になった」を放映。

12日はジョン・レノンの命日。凶弾に倒れて42年が経つ。

ニューヨークのセントラル・パーク西側72番通りにあるジョン・レノンの自宅ダコタ・ハウス。1980年12月8日22:50。マーク・チャップマンがジョン・レノンに発砲。ジョンは近所の病院に搬送されたが、23時過ぎ死亡が確認された。

戦争反戦歌としても有名ですが、今またこの地球上で戦争が繰り返されている。


 

午後4時55分に5階の通路を歩いていたら、東の空に大きなまん丸のお月様が見えました。

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ピカソかアインシュタインか

今日の日経新聞文化欄にこんな記事がありました。

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~~うたごころは科学する~~

君は海難救助隊員だ。今、沈みつつある舟の中にピカソとアインシュタインの2人だけが取り残されたいるとする。どちらか1人だけしか助けられないとすると、どちらを選ぶか。
この問いかけは、「ピカソーアインシュタイン問題」と呼ばれる。いつ誰が思いついたのかわからないが、この思考実験、回答者の人間性の一端が垣間見えて、ちょっとおもしろい。
人間には、年齢、性、職業、民族、国籍、宗教、家族構成など、多くの属性がある。それらの属性をすべて考慮して相手を評価するのが普通だ。でもピカソやアインシュタインの場合は、それぞれ芸術家・科学者としての属性が他を圧倒して強烈。つまり、「ピカソーアインシュタイン問題」は、「あなたは、芸術家と科学者と、どちらがより大きな価値を持つものと考えますか?」という問いかけなのだ。
読者の皆さんは、回答者が科学の徒であれば、アインシュタインを選ぶだろうと考える人がいらっしゃるかもしれない。サイエンスを志すような人は、当然、科学者を優先するだろうと。
これがそうでもないからおもしろい。
アインシュタインの業績を理解し、この上ない敬意を彼に感じながらも、「この場合はピカソだ」と答える科学者が少なからずいる。
相対性理論は偉大なものだが、これは宇宙(自然)のありさまを合理的に説明しようという行為の結果だ。科学者は宇宙を発明したわけではなく、理解しようとしているだけなのである。
芸術家は、人間社会を、自然を、自分自身を、独自のやりかたで解釈し、絵画や音楽や詩で表現する。表現という行為は自分勝手でわがままなものだが、不思議なことにこれが同時代や未来の人々の心を揺り動かすのである。科学には出来ないことだ。
私の場合、2人を天秤にかけるとすれば、ピカソの方が少し重いように思う。でも、だからといってアインシュタインを見捨てることはできないーーーー迷っているうちに、3人とも溺死するかも。どうも、最悪の結末になりそうだ。

歌人・情報科学者  坂井修一


秘話~「知覧」にある米兵慰霊碑~

昨日の特攻隊員の「母」に引き続き、秘話映像をもう一本追加いたします。

特別攻撃隊の映像はあまりにも衝撃が強すぎ、ブログで掲載することはやめましたが、各自のご判断で関連映像をご覧いただき、歴史的事実に関心を寄せてください。



特別特攻隊

昨晩「Youは何しに日本へ?」を見ていて、考えさせられました。
「日本で叶うことなら何がしたいか?」番組内のこのコーナーで、ウクライナから来た女性が「チラン、チランへ行きたい。」と言う。

「チラン」私も知りませんでしたが、鹿児島県の飛行軍事基地知覧から飛び立った特別特攻隊の母と呼ばれた「富屋食堂の女将トメさんに関して大変な興味がある」とのこと。

正直、ウクライナの女性がこれほどまでに知覧の出来事に関心を寄せ、文献を読んで一人間として志高く生きた人トメさんを、真剣に自分の目で確かめ、自らの生き方を見つめ直す姿に感心しました。

子供の頃に「同期の桜」を誰かから教わり今でも歌えますが、自らを鼓舞する歌と解釈していましたが、もっともっと深い意味があったのですね。

今日一日ほとんど「特別攻撃隊」に関するYouTubeを見ていました。

そんな中で私が選んだ投稿ビデオがこちらです。


画家 板谷房

今日も板谷画伯に関するコメントをいただきました。


三彩という雑誌をご存知でしょうか。戦後すぐに創刊され、20数年前に廃刊になってしまいました。小出楢重の特集等、好きな美術雑誌です。といっても存在を知ったのは廃刊後ですが。国立国会図書館にも蔵書があり電子化されています。ダウンロード出来ればいいのですが機材の不備で出来ません。1968年12月号、通巻238号にmemeranさんが板谷房とお会いになった松坂屋での個展評(結構有名な記事らしいので)が載っているので現物を古書店から取り寄せて見ました。図版も7点掲載されています。ブログにもあった『平和のための宴』がカラーグラヒアで、また模写をされた2点と共に『タブローの前』もモノクロのグラヒアで掲載されています。偶然が引き合わせたのか、お買いになられたのは本当にいい判断でした。代表作で名品です。7点の図版の中に知人のもっている裸婦も掲載されていました。1958年の個展評が掲載されている月刊『美術手帖』は今の所、基本ソフトの不備で購入出来ませんが、板谷の死後発刊された、板谷のパリでの奮闘記が描かれている『芸術新潮』等も、まだ見ていませんが届いています。その他、パリやイギリスの古書店でも売っていますが1972年の遺作展の図録も届いており、見終わったら然るべき場所に寄贈する予定です。                                                       


私からの返信はこちらです。                           

    2020年07月07日 08:14

    〇〇様、いつもコメントありがとうございます。
    雑誌「三彩」よく古本屋で見かけました。板谷画伯はやはり当時も話題の人だったようですね。
    数日前から、板谷画伯からいただいた松坂屋画廊でのカタログを探して、すべての写真を撮影して、貴殿に報告したく思いましたが、相次ぐ引っ越しと片付けで、どこかの段ボール箱にあるはずですが、今だ探し当てず。
    小野様の熱意で板谷房画伯の実態が解明しそうですね。
    私ももう一度大事にしていたカタログを探してみます。


    私が模写した板谷画伯の絵画2点です。

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    「ローブの少女」 サイズF20号 製作期間2016年5月20日~8月28日

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    「ミニ・ジュープの少女」 サイズF15号 製作期間2016年5月31日~8月18日

    画家 板谷房

    またまた、画家板谷房に関しての新情報のコメントをいただきました。


    1964年から65年にかけて、板谷房はフランス政府から芸術院賞を貰い、サロンで3回目となる金賞を受賞して無監査となりますがこの頃から皆が手軽に買える、手頃な値段の少女像の小品を量産してフランスはもとよりアメリカ、スイス等に向け販売しています。精力的に製作し生活に余裕もあり充実したこの時期に、memeranさんは帰国した板谷さんと出会ったのですね。掲載されている少女のポートレートのステンドグラス風の背景はドイツ製の金箔(真鍮製もあるらしいのですが)に上から色を被せてあるそうで競売情報を見るとミクスドメディアと分類しているオークションハウスもありました。      


    私からの返信                                              


      2020年07月05日 21:3

      〇〇様、またまた新情報をありがとうございます。
      私が松坂屋本店の画廊で出会ったのは1968年ですから、この時期になります。
      当時画廊に出品されていた絵画を、いただいたカタログで思い返して、今にして思えば、板谷画伯の絶頂期だったような気がします。
      本当にどの作品にもスキのない緻密な描き方で、私が17歳の子供ではありましたが、心底惚れ惚れとして見入っていました。
      それを何か勘違いされたのか「君は絵描きになる目をしているね。」と声をかけていただき、以後その気になって絵描きになる夢を見ていました。


      もうひとつのコメントはこちらです。

      板谷房の作品には、まだ20年余り著作権が残っていて競売終了後に図版が削除されているものも沢山ありますが、アメリカの記録等ではかなり遡れます。その中でも最も充実した時期に描かれた風景、サインからすると6号位でしょうか、https://www.invaluable.com/auction-lot/foussa-itaya-japanese-french-b-1919-1028-c-16596b09b5成る程と思わせる壁道橋の質感、統一され抑制された、でも穏やかで明るい色調と板谷ブルー、手前の屋根の稜線と淡い雲の峰が右下に伸びる一方、道は右上奥に向かう一点透視の落ち着いた構図、一見冴えない下町の川沿いの風景をモダンに甦らせていて、キリコの形而上絵画の様でもあり見方によってはシュール、隠れた名品だと思います。   


      私からの返信はこちらです。                                                

        2020年07月05日 21:50

        〇〇様、新情報ありがとうございます。
        早速にコメントのアドレス検索いたしました。
        1923年生まれ、1971年没のわずか48年の生存でしたが、私の人生観でも40代が、一番仕事に乗っていた時期なのではないかと思っています。
        体力、気力でも一番無理が効き、活躍できた年代だと思います。
        私が出会ったときは板谷画伯が45歳の時、当時の写真からもうかがえる通り、写真の顔つきに底知れぬ自信がみなぎっています。
        そのような意味でも、私が手に入れた絵は、板谷画伯の自信作であったに違いありません。
        勝手ながらそう信じて、壁に飾った板谷画伯の絵を毎日見ています。


        私が17歳の時、松坂屋本店画廊で出会った当時の板谷房画伯の写真。

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        そして私が数年前手に入れた板谷画伯の油絵、タイトル「タブローの前」

        2681989c

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        関連記事はこちらです。

        http://atoriemimiran2.livedoor.blog/archives/1538436.html

        画家 板谷房

        今朝のメール「「画家 板谷房」にコメントがありました。
        いつも板谷画伯に関する情報をお寄せいただくお方からです。

        foussa itayaで何回か検索すると表示件数が爆発的に増えて来ました。海外の全ての画廊等では生没年を1919~、現存作家としています(正確には1923生~1971没)。アメリカの27の競売会社の板谷房の出品数はこの30年で99件、1950年代30件、1960年代20件、1970年代10件、製作期間を1969年迄としていますが一点だけ最晩年の年記の優品を見つけました。http://www.artnet.com/artists/foussa-itaya/la-jeune-artiste-hALxVtKLnSPnrqefvbNHlw2 。若い挑戦的な画家のバックの模写、死の間際、ルネッサンス画に何を思ったのか。お描きになった模写画の中にもあったような・・。もう一点9年前のクリスティーズ出品作、藤田嗣治同様、面相筆と金箔の和洋折衷作品https://www.christies.com/lotfinder/Lot/foussa-itaya-frenchjapanese-b-1919-fleurs-5468428-details.aspx競売件数は米、仏、英、スイスが多く、後は伊、独、スペインが僅か、知らなかっただけで売れっ子作家だったのかも知れません。

        2011_NYR_02459_0216_000(foussa_itaya_fleurs)

        私からの返信
        〇〇様
        いつも板谷房に関する新しい情報をありがとうございます。
        お知らせ頂いたアドレスを早速に検索、今まで見たことのない絵です。
        貴殿のおかげで、板谷画伯がよみがえりそうな気配を感じます。
        いつも本当にありがとうございます。


        私のつたないブログでも、こうして興味を示しコメントをいただけることは、本当に嬉しいものです。
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