泰西名画模写画とオリジナル絵画、コレクションの作品紹介

10年以上続けてきたヤフーブログから移行してきました。 画家になりたいという、若い頃からの夢をかなえたくて、独学で模写から勉強しています。 また、好きな人物画を主に、有名無名を問わず気に入った絵画収集にも努めています。 他にも日々お出かけの日常などを紹介しています。

備忘録

ピカソかアインシュタインか

今日の日経新聞文化欄にこんな記事がありました。

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~~うたごころは科学する~~

君は海難救助隊員だ。今、沈みつつある舟の中にピカソとアインシュタインの2人だけが取り残されたいるとする。どちらか1人だけしか助けられないとすると、どちらを選ぶか。
この問いかけは、「ピカソーアインシュタイン問題」と呼ばれる。いつ誰が思いついたのかわからないが、この思考実験、回答者の人間性の一端が垣間見えて、ちょっとおもしろい。
人間には、年齢、性、職業、民族、国籍、宗教、家族構成など、多くの属性がある。それらの属性をすべて考慮して相手を評価するのが普通だ。でもピカソやアインシュタインの場合は、それぞれ芸術家・科学者としての属性が他を圧倒して強烈。つまり、「ピカソーアインシュタイン問題」は、「あなたは、芸術家と科学者と、どちらがより大きな価値を持つものと考えますか?」という問いかけなのだ。
読者の皆さんは、回答者が科学の徒であれば、アインシュタインを選ぶだろうと考える人がいらっしゃるかもしれない。サイエンスを志すような人は、当然、科学者を優先するだろうと。
これがそうでもないからおもしろい。
アインシュタインの業績を理解し、この上ない敬意を彼に感じながらも、「この場合はピカソだ」と答える科学者が少なからずいる。
相対性理論は偉大なものだが、これは宇宙(自然)のありさまを合理的に説明しようという行為の結果だ。科学者は宇宙を発明したわけではなく、理解しようとしているだけなのである。
芸術家は、人間社会を、自然を、自分自身を、独自のやりかたで解釈し、絵画や音楽や詩で表現する。表現という行為は自分勝手でわがままなものだが、不思議なことにこれが同時代や未来の人々の心を揺り動かすのである。科学には出来ないことだ。
私の場合、2人を天秤にかけるとすれば、ピカソの方が少し重いように思う。でも、だからといってアインシュタインを見捨てることはできないーーーー迷っているうちに、3人とも溺死するかも。どうも、最悪の結末になりそうだ。

歌人・情報科学者  坂井修一


秘話~「知覧」にある米兵慰霊碑~

昨日の特攻隊員の「母」に引き続き、秘話映像をもう一本追加いたします。

特別攻撃隊の映像はあまりにも衝撃が強すぎ、ブログで掲載することはやめましたが、各自のご判断で関連映像をご覧いただき、歴史的事実に関心を寄せてください。



特別特攻隊

昨晩「Youは何しに日本へ?」を見ていて、考えさせられました。
「日本で叶うことなら何がしたいか?」番組内のこのコーナーで、ウクライナから来た女性が「チラン、チランへ行きたい。」と言う。

「チラン」私も知りませんでしたが、鹿児島県の飛行軍事基地知覧から飛び立った特別特攻隊の母と呼ばれた「富屋食堂の女将トメさんに関して大変な興味がある」とのこと。

正直、ウクライナの女性がこれほどまでに知覧の出来事に関心を寄せ、文献を読んで一人間として志高く生きた人トメさんを、真剣に自分の目で確かめ、自らの生き方を見つめ直す姿に感心しました。

子供の頃に「同期の桜」を誰かから教わり今でも歌えますが、自らを鼓舞する歌と解釈していましたが、もっともっと深い意味があったのですね。

今日一日ほとんど「特別攻撃隊」に関するYouTubeを見ていました。

そんな中で私が選んだ投稿ビデオがこちらです。


画家 板谷房

今日も板谷画伯に関するコメントをいただきました。


三彩という雑誌をご存知でしょうか。戦後すぐに創刊され、20数年前に廃刊になってしまいました。小出楢重の特集等、好きな美術雑誌です。といっても存在を知ったのは廃刊後ですが。国立国会図書館にも蔵書があり電子化されています。ダウンロード出来ればいいのですが機材の不備で出来ません。1968年12月号、通巻238号にmemeranさんが板谷房とお会いになった松坂屋での個展評(結構有名な記事らしいので)が載っているので現物を古書店から取り寄せて見ました。図版も7点掲載されています。ブログにもあった『平和のための宴』がカラーグラヒアで、また模写をされた2点と共に『タブローの前』もモノクロのグラヒアで掲載されています。偶然が引き合わせたのか、お買いになられたのは本当にいい判断でした。代表作で名品です。7点の図版の中に知人のもっている裸婦も掲載されていました。1958年の個展評が掲載されている月刊『美術手帖』は今の所、基本ソフトの不備で購入出来ませんが、板谷の死後発刊された、板谷のパリでの奮闘記が描かれている『芸術新潮』等も、まだ見ていませんが届いています。その他、パリやイギリスの古書店でも売っていますが1972年の遺作展の図録も届いており、見終わったら然るべき場所に寄贈する予定です。                                                       


私からの返信はこちらです。                           

    2020年07月07日 08:14

    〇〇様、いつもコメントありがとうございます。
    雑誌「三彩」よく古本屋で見かけました。板谷画伯はやはり当時も話題の人だったようですね。
    数日前から、板谷画伯からいただいた松坂屋画廊でのカタログを探して、すべての写真を撮影して、貴殿に報告したく思いましたが、相次ぐ引っ越しと片付けで、どこかの段ボール箱にあるはずですが、今だ探し当てず。
    小野様の熱意で板谷房画伯の実態が解明しそうですね。
    私ももう一度大事にしていたカタログを探してみます。


    私が模写した板谷画伯の絵画2点です。

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    「ローブの少女」 サイズF20号 製作期間2016年5月20日~8月28日

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    「ミニ・ジュープの少女」 サイズF15号 製作期間2016年5月31日~8月18日

    画家 板谷房

    またまた、画家板谷房に関しての新情報のコメントをいただきました。


    1964年から65年にかけて、板谷房はフランス政府から芸術院賞を貰い、サロンで3回目となる金賞を受賞して無監査となりますがこの頃から皆が手軽に買える、手頃な値段の少女像の小品を量産してフランスはもとよりアメリカ、スイス等に向け販売しています。精力的に製作し生活に余裕もあり充実したこの時期に、memeranさんは帰国した板谷さんと出会ったのですね。掲載されている少女のポートレートのステンドグラス風の背景はドイツ製の金箔(真鍮製もあるらしいのですが)に上から色を被せてあるそうで競売情報を見るとミクスドメディアと分類しているオークションハウスもありました。      


    私からの返信                                              


      2020年07月05日 21:3

      〇〇様、またまた新情報をありがとうございます。
      私が松坂屋本店の画廊で出会ったのは1968年ですから、この時期になります。
      当時画廊に出品されていた絵画を、いただいたカタログで思い返して、今にして思えば、板谷画伯の絶頂期だったような気がします。
      本当にどの作品にもスキのない緻密な描き方で、私が17歳の子供ではありましたが、心底惚れ惚れとして見入っていました。
      それを何か勘違いされたのか「君は絵描きになる目をしているね。」と声をかけていただき、以後その気になって絵描きになる夢を見ていました。


      もうひとつのコメントはこちらです。

      板谷房の作品には、まだ20年余り著作権が残っていて競売終了後に図版が削除されているものも沢山ありますが、アメリカの記録等ではかなり遡れます。その中でも最も充実した時期に描かれた風景、サインからすると6号位でしょうか、https://www.invaluable.com/auction-lot/foussa-itaya-japanese-french-b-1919-1028-c-16596b09b5成る程と思わせる壁道橋の質感、統一され抑制された、でも穏やかで明るい色調と板谷ブルー、手前の屋根の稜線と淡い雲の峰が右下に伸びる一方、道は右上奥に向かう一点透視の落ち着いた構図、一見冴えない下町の川沿いの風景をモダンに甦らせていて、キリコの形而上絵画の様でもあり見方によってはシュール、隠れた名品だと思います。   


      私からの返信はこちらです。                                                

        2020年07月05日 21:50

        〇〇様、新情報ありがとうございます。
        早速にコメントのアドレス検索いたしました。
        1923年生まれ、1971年没のわずか48年の生存でしたが、私の人生観でも40代が、一番仕事に乗っていた時期なのではないかと思っています。
        体力、気力でも一番無理が効き、活躍できた年代だと思います。
        私が出会ったときは板谷画伯が45歳の時、当時の写真からもうかがえる通り、写真の顔つきに底知れぬ自信がみなぎっています。
        そのような意味でも、私が手に入れた絵は、板谷画伯の自信作であったに違いありません。
        勝手ながらそう信じて、壁に飾った板谷画伯の絵を毎日見ています。


        私が17歳の時、松坂屋本店画廊で出会った当時の板谷房画伯の写真。

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        そして私が数年前手に入れた板谷画伯の油絵、タイトル「タブローの前」

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        関連記事はこちらです。

        http://atoriemimiran2.livedoor.blog/archives/1538436.html

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