岡崎城のおもてなし隊、グレート家康公「葵」武将隊の演舞です。
2014年06月
岡崎公園を後に、次に向かうは「滝山寺」です。
岡崎に住むようになって間もない頃の2年前にも一度訪れたことがあります。
滝山寺の詳しい資料はこちらをご覧ください。
まず入り口に滝山寺三門があります。山門でなく三門だそうです。
文永四年(1267年)の建立で、市内最古の建造物だそうです。
そして瀧山寺も今は一般に滝山寺で通っています。
そして急な階段を上って行きますと、いかにも古刹な本堂があります。
そして、本堂のすぐ横に滝山寺東照宮があります。
滝山寺東照宮は、久能山、日光と並ぶ日本三大東照宮にひとつだそうです。
岡崎公園は、岡崎城の城跡を公園にしたもので、岡崎城や三河武士のやかた家康館を中心とした歴史と文化の公園です。
岡崎公園は「日本の都市公園100選」及び「日本のさくら名所100選」に平成元年に認定されています。
また、「日本の歴史公園100選」に平成18年11月に選定されました。岡崎城は「日本100名城」に平成18年度認定されました。
と以上岡崎公園の説明ですが、実は先週の土曜日にもここに来て広い園内を散策していました。
たまたまカメラを持って来るのを忘れたので、今日改めて来てみました。
岡崎城も角度を変えて撮影するとどんな感じか?少し旅人気分で新鮮な撮影場所を選んでみました。
岡崎城西側から撮影、敷地の森の中に天守閣が見えます。
ここは一般的な正面入り口側からの撮影です。
只今、来年の岡崎イベント「家康公没後400年記念」の準備工事があり、少し目障りですが、城の南東、東、北側からの撮影です。
毎時0分と30分にからくり時計が作動し、家康公が能を演じます。
おそらく本物の能はここで演じられたのでしょう。能楽堂です。
そして、ここ岡崎城の宣伝部隊、グレート家康公「葵」武将隊による演舞が、土日祭日の午前11時と午後2時から三河武士のやかた家康館前の広場で繰り広げられます。
只今制作中の「婦人像」少し絵が乾くのを待って次の作業に入るため、空き時間を利用して、再び表題の「スミレ色のチュニックの少女」を模写します。
この絵は以前にもF6号(41cm×31.8cm)に描きましたが、今回はもう一回り大きなF10号(53cm×45.5cm)の先に「婦人像}を手直し中につぶしたキャンバスに描きます。
この絵の作者ジャン・バティスト・クルーズは、経歴を見るとこんな人です。
(Jean-Baptiste Greuze, 1725年8月21日 - 1805年3月4日)は、フランスの画家。宮廷風俗を描いた同時代の他の画家と違い,市民生活に題材を求めた風俗画を多く描いた。
彼の自画像がありましたので参考にしてください。 1760年頃 ルーヴル美術館蔵
何故再び彼の絵の模写かというと、実は以前に描いた絵は中国へ行ってしまい、私の手元にないのです。
彼の少々大胆な筆づかい、タッチが気に入っていて、もう一度描き今度はミーミーラン美術館に所蔵したいと考えたからです。
今日の出来栄えはここまでです。
昨日の新聞記事に岡崎市鳥川町のホタル学校で14日夜、「鳥川ホタルまつり」があり、市内外から千名近くが九百匹ちかいゲンジボタルの乱舞に酔いしれた。
このような記事を目にして、今晩出かけてみました。
今住んでいる所から車で30分ほどの場所、2年前にもホタルの乱舞が見たくて出かけたことがありますが、撮影はすべて失敗作。
ホタルの乱舞を撮影するには、私のバカチョンカメラでは難しいと思いつつも挑戦してきました。
それよりも、車で運転するが為、夕飯に欠かせない晩酌の楽しみを堪えなければならないことの方が辛い。
それで今がホタルの乱舞見時と思いつつも、晩酌の誘惑に負けて出かけませんでしたが、さすがに週末の千名近い見学者がいては、駐車場もままならぬ状態でしょうが、今日は月曜日、まさかそんなには混んでないだろうと思い、いざ出陣でした。
まだかすかにほの明るい夕方7時に現地到着。
こんな日本原風景のような山里で、鳥川の清水の流れと田んぼの青々とした田植えあとの風景に、ゲロゲロとカエルの合唱隊のなか、暗くなるまで待ちました。
かんじんの撮影ですが、またもや失敗。
写真が難しいので、映像も沢山撮りましたが、家に帰ってパソコン入力したがすべてごみ箱状態です。
かろうじて1枚、4匹のホタルの明りが映っていました。
ホタル情報の詳しい内容等はこちらでご覧ください。
僅か2分30秒で全体を撮影できる小さな温室ですが、私以外に見学者はおらず、しかもいい音楽が流れていたので、チョイト撮影して参りました。
本当はベンチに腰かけてゆったりした時間を持ちたかったが、一人では何せ寂しい。
こんな温室を自宅に持ち、椅子とテーブルを並べてまったりお茶の時間でも楽しみたいのが私の夢です。
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