泰西名画模写画とオリジナル絵画、コレクションの作品紹介

10年以上続けてきたヤフーブログから移行してきました。 画家になりたいという、若い頃からの夢をかなえたくて、独学で模写から勉強しています。 また、好きな人物画を主に、有名無名を問わず気に入った絵画収集にも努めています。 他にも日々お出かけの日常などを紹介しています。

2010年09月

豪華客船

今日お昼のニュースで、豪華客船セブンシーズナビガーターが名古屋港に入港したと報道され、最近めっぽう豪華客船が好きなミーミーランは、見学に行ってきました。

セブンシーズナビゲーターの詳しい資料は 
http://www.best1cruise.com/cruise/kyakusenn/shipdata_radison_sevenseas_navigator.htm

33,000トン、全長170メートル、名古屋港の客船埠頭ほぼいっぱいです。以前記事にした飛鳥Ⅱに比べれば少し小さいが、資料によれば1999年8月就航だそうで、その歴史はまだ浅いようだが、最新設備を備えた豪華客船に貫禄充分です。
飛鳥Ⅱの記事は http://blogs.yahoo.co.jp/atoriemimiran/41155421.html

今日の夕方名古屋を出港、神戸へ寄り、天津が到着港最終だそうです。

先端部分がこちらです。

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つづいて側面です。

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後方も大きいです。

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名古屋港ポートビルに珍客登場で、素敵なショット。

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豪華客船の入港で、久しぶりに賑やかな感じの名古屋港でした。

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フジタ随想Ⅱ

フジタ随想のつづきです。

自己顕示欲は、いやしくも一人前の芸術家であれば誰しものことで、あえて藤田のみ異とするに足るまい。

藤田が奇きょうなふるまいにおよんだのも、計算なしとはしない。「俺はピカソやマチスの絵は勉強しない。彼らがいかにして世に出ていったか、その方法を勉強するのだ」と云ったことがある。

といってもそういう計算に、藤田自身抵抗がなかったわけではなかったろう。「俺はいろんなことをやるけど、やるまでは気に病むんだ。テレくさいし、いやだと思うこともある。だけど、よしやろう、となったら胆がすわるんだ」とも云っていた。

一匹狼の芸術家が、世に出るためには、純粋な才能はむろんだが、彼自身の人間的魅力が必要であり、それをきっかけとタイミングに乗せて売り出さねばならぬ、ということも充分にこころえていたのである。

これを一口にいえば、今日的な意味において、藤田は「偉大なるタレント」でもあった、ということが出来るであろう。

偉大なタレントというものは、常に時流の第一線に乗っていなければならない。それを裏づけるには、かくとしたテクニックを持っていなければならない。藤田はその両方がそなわっていた。

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戦争画の問題にしても、藤田自身の戦争に対する主義主張よりも、戦争画を描くことがその時代の時流に乗ることだ、という本能的なカンの方が強かったのではなかろうか。

だから逆に敗戦になると、宮本三郎君のところに手紙をよこして「戦争画に関するドキュメントはすっかり焼いてしまえ、アメリカに知られるとひどい目にあうぞ」などという忠告をしたそうだ。そういう警戒心や保身術には、実に敏感であった。これが時流を見る目なのである。

藤田のような生き方は、今日であれば誰もあやしむに足りない。むしろ、タレント的な生き方をすることは、ある種の芸術家にとって欠くべからざる条件ですらあるようです。

いい意味においても「一億総タレント化」、芸術家のみならず、各個人がそれぞれに自分の才能に目いっぱいに活用して生きていくのが、現代である。

つまり、藤田の生き方は、日本においては、30年から50年早すぎたのである。

                           (原文のまま書き写しました)

フジタ随想

「藤田嗣治とエコール・ド・パリ」の写真集の中に、高野三三男が書いたフジタ随想のページがあった。

高野が藤田画伯を尊敬していた証しでしょうか、藤田画伯の側面がよく解り、藤田ファンのひとりとして、つい気になる文章なので紹介いたします。

「誤解と伝説のフジタ」

偉大な人間というものは、いつの時代においても、彼が偉大であればあるほど、多くの人から誤解され、伝説に包まれてしまうものである。

藤田嗣治もまたその一人で、一生を数多くの伝説でつづられ、また誤解されることも多かった。彼が、偉大な人間の一人であったという、証明であろう。

藤田への誤解は、まず大正11年の第4回帝展に出品した「わが画室」という作品にはじまる。美術の本場パリで売出した画家という前評判で、いったいどんなすごい作品だろうと期待していると、ちっともヨーロッパ的な油絵じゃない。むしろこれが、日本画的な作品である。そこで、日本画壇の受け取り方は「なんだこんなもの、俺だって描ける」という違和感が第一であった。

しかしこれはコロンブスの卵みたいなもので、実際にヨーロッパの石の壁に掛けてみるとすぐわかることだが、日本画だったらどんな大家の作品でも影が薄くなってしまう。ところが藤田の手法で描いたものは、逆に強く浮出る。そこが藤田の工夫であって、軽薄に日本を売物にしたわけではない。そうでなければ、きびしいヨーロッパの市場で成功するわけがないのである。

これに加えて、当時の藤田に風あたりが強かったのは「日本を売物にした」という言葉でも知られるように、藤田の名声が絵の才能以外のところで作りあげられたという風評がもっぱらであったからである。

まず、あの有名なおかっぱ頭、足の爪にまで塗ったベディキュール。

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身辺を変わった風にかざり立てるかと思えばまた、鉛筆屋の宣伝のために、2メートルもの大きな鉛筆の模型をかついで、歌手のミスタンゲットと一緒に、ドービルの海岸を歩きまわったり、「すべてのパリジェンヌは私にキスしたがる、それは私がラッキーストライクを喫うからだ」などと煙草屋のポスターに登場したり。つまり、いまのコマーシャル・タレントなのである。

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こういう奇きょうなスタイルやふるまいは、とうてい当時の日本の世相に受け入れられない。タレントは河原乞食であり、自己宣伝などは、少なくとも表むきにはいやしむべき悪徳だと考えられていた時代である。

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だから、藤田といえば、絵の才能がないくせに、自分を道化にする自己宣伝のみによって売出した奴。芸術家の風上にも置けない、という悪口が立ったのである。

むしろ藤田自身には、人一倍の自己顕示欲はあった。フジタ、フジタと云われなければ気が済まない、といった一面はあった。

第二次欧州大戦が始まると、私たち夫婦は伏見丸で藤田夫妻と一緒に帰国の途についたが、船中で彼は、食堂で身ぶりよろしく軍歌を歌うなど、常に一座の中心であった。フジタ、フジタと云われるためには、たいへんなサービス精神を要するのである。

                                           つづく

エコール・ド・パリ

入手した高野三三男の作品を見ながら、ビールを飲むミーミーランですが、本来ワインの方がいかしているかも知れませんが、残念なことにいいワインもなければ洒落たグラスもありません。

ところで、高野画伯の作品を見ながら、さかのぼるところ100年位前のセピア色のパリが目に浮かびます。

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エコール・ド・パリと称せられる画家たちがたむろしてたと言われる、カフェ「ラ・ロトンド」へは過って22年前、私も立ち寄ってみました。

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こんなカフェが今のパリにも残っていますが、あの時代画家になるには、パリで修業しなければ大成しないとまで言われ、各国からパリを訪れた画家志望の若者が多くいた。

高野もおそらくその一人であっただろう。

しかし、時代が過ぎ「エコール・ド・パリ」の中で日本人としては藤田嗣治画伯を除いて、他は世界中に名を残した画家はいない。

「藤田嗣治とエコール・ド。パリ」という豪華本の写真集を開けてみたら、高野画伯が藤田画伯ら日本人画家の仲間と一緒に写っている写真がありました。
この本の紹介記事  http://blogs.yahoo.co.jp/atoriemimiran/35840288.html

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後部、右から2人目

さらに、高野画伯の娘さんと一緒の藤田画伯、ここで高野の娘さんが登場することは、一緒に渡仏した岡上りうと当地で結婚していたようだ。

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高野三三男の2作品

こうして購入した作品を2点並べてみると、パリで栄えたアール・ヌーヴォーの時代背景が、当時を知らない私にも何となく古き良き時代の臭いを感じます。

彼は1922年、東京藝術大学洋画家に入学するも、1924年の関東大震災による復興の騒ぎから逃れるように、同級生の岡田健謙三、高崎剛、後に妻となる岡上りうらと共に渡仏。

1940年に藤田嗣治とともに帰国している。

この時代、フランスでは画壇の親分肌、藤田のもとに多くの日本人画家が集まっていたようです。

日本でも戦後有名画家として、名声ある東郷青児画伯も同時代パリで絵の勉強をしてた。

この二人に共通した感じを絵から読み取りますが、それは私だけでしょうか?

私にしては久しぶりに大家の絵を入手し、今日からこの二人の美女を眺めながら晩酌できることに、今からワクワクしています。

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