泰西名画模写画とオリジナル絵画、コレクションの作品紹介

10年以上続けてきたヤフーブログから移行してきました。 画家になりたいという、若い頃からの夢をかなえたくて、独学で模写から勉強しています。 また、好きな人物画を主に、有名無名を問わず気に入った絵画収集にも努めています。 他にも日々お出かけの日常などを紹介しています。

2008年11月

画家ビュッフェについて(3)

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ビュッフェについて、自ら命を絶つすざましい衝撃を予測する内容を、生前に語っている文章を書き記すことを忘れていました。

「絵画は私の命です。これを取り上げられてしまったら、生きていけないでしょう。絵画は今まで私を支配してきたし、これからもずっとそうがと思います。

絵画は全てを破壊し、食い尽くすものであり、ごまかしを許さないものですから、描き始めた瞬間から自分を見失ってしまうものです。

時が過ぎていくのは当然のことです。だから生の次に死が来るのも、全く自然な流れです。人は死に苦しめられていますが、私は喜んで受け入れます。

今までに何度か自殺を試みましたが、うまくいきませんでした。私にとって死とは不都合がなければ、むしろ好ましいものに思えるのです。」


この文章を読んで、死の恐怖を感じていない彼の生き方、感覚、感情はいかなるものか?

少しは理解出来る。男の美学とでも言おうか、この強がりは一種の男気だと思います。

老衰や不治の病で死にざまを受け入れるよりも、生きざまを象徴するまま死にざまも自ら選んで終えたい美学は私にもよく解ります。

最後に、ベルナール・ビュッフェ晩年の自宅シャトウでの華やかな暮らしぶりと、孤独感漂う彼の一枚の写真を提供し終りとします。

画家ビュッフェについて(2)

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昨日の記事の続編として、彼の妻アナベルの言葉を綴って、本編を終わりたいと思います。
http://blogs.yahoo.co.jp/atoriemimiran/35763606.html

「ベルナール(ビュッフェ)は、もう誰の負担にもなりたくなかったのです。だからあのような死を選んだのでしょう。

彼自身が決めたことなので、私からは何も言うことはありません。ただ、50年間に及ぶ彼の画家としての偉業を見て欲しい。そう願うだけです。

彼の作品は、たびたび非難されました。そのようなときベルナールは悪評によって励まされ。奮起することもあるのだと、静かに語ってくれました。

彼は息を引き取るまで、描くことへ眩しいほどの情熱を注いでいました。描くことが彼のすべてだった。

私は、ベルナールの絵を愛しています。41年間の愛情と友情は決して消えることはありません。

それは、彼の遺した作品と思い出が証明しています。」


ーーービュッフェの死から6年後の2005年8月3日アナベルは静かにこの世を去った。ーーー


「画家というのは、たった一人で仕事をしている。非常に稀な創作者です。

アトリエから展覧会場に運ばれるまで、絵画は画家自身の手の中にあり、生かすも殺すも作者次第なのです。

芸術家は愛の喜びと創作の苦しみを同時に味わう両性具有神のようなものです。作品が出来上がって人々に受け入れられたちきに、初めて肉体的にも精神的にも平静が得られるのです。

だから絵画を前にして、あまり喋りすぎてはいけないのです。絵画は生きており、子供のように僅かなことで傷つくからです。」


最後にベルナール・ビュッフェも語っております。
「私は大海原を航海する一隻の小船のようなもの、その波間を縫って何とか舵をとっているのです。」

ラン全開

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今月13日にアップした、洋ランが今日ようやく先端の花まで開花。

花の種類はオンシジウムのワイルドキャット’ローレーン’だと思います。

名前がどうであれ気にしませんが、ランの栽培の本を見ると、姿かたちや花の色、花の特色からして間違いなさそう。

ワイルドキャット、何とも勇ましい名前ではありませんか。

かぐや姫が居ない今は、こうしてランの花を彼女に見立てて寂しく暮らしております。

花は大好きですね。いろいろな花、華、はな、ハナ、何でも御座れ。

私の過去を知らない方は、後半の文章、何じゃらホイですね。ゴメンナサイ、一人ごとですから。

画家ビュッフェについて(1)

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23日に「いい夫婦・・・」で、記事にしたベルナール・ビュッフェ(1928年7月10日、パリ生まれ)ですが、
 http://blogs.yahoo.co.jp/atoriemimiran/35658832.html

1947年に最初の個展をし、翌年「ブリ・ド・ラ・クリティック(批評家賞)」を受賞し、美術学校時代の女友達アニエス・ナンケットと結婚。若くして、独特の絵画表現の世界が人々の注目を集めた。しかし2年後離婚している。

「いい夫婦・・・」で紹介した再婚相手のアナベル・シュウォーブ・リュールは、ビュッフェと同じ1928年5月10日パリの裕福なユダヤ人の家庭に生まれ。

モデルとして活躍していた30歳の時、リゾートのサン・トロペで彼と出会って、すぐに打ち解け結婚に到っている。

そんな幸せなビュッフェ夫妻だが、ビュッフェの最後は、なんと自ら命を落としている。

1999年6月、転倒により右手首を骨折したビュッフェは夏の間中、絵を描くことが出来ず、さらに以前からのパーキンソン病の症状も悪化し、絵筆を握ることさえ、困難になった。

1999年10月4日、彼はブロヴァンスの自宅で、ビニール袋をかぶり自らの命を絶った。(享年71歳)


画家が死に、作品がこれ以上出回らなければ、人気に比例して極端に値が上がり、大儲けする人がいる。
画家の価値が価格にはっきり表れる世界です。

ラファエロの絵を修復


26日にアップした記事の関連で、ヤフーニュースからの記事を参考に掲載いたします。

---11月26日 9:58分配信  時事通信---

ルネサンス期の代表画家ラファエロの傑作「ひわの聖母」の修復前(左)と修復後。

10年に及ぶ作業で鮮やかな色彩がよみがえった。

イタリア中部フィレンツェ美術館で一般公開された。(25日)

写真を見れば明らかなように、本来はかなり鮮やかな色彩で、これが本画の色彩かと改めて見なおしてみたい。

従って私が今、模写中の絵も、明るい色彩であったに違いないと確信した訳です。

参考の絵画は26日の「油絵」にアップしております。

絵を買う人

https://blogs.yahoo.co.jp/OTHER-IMG/ybi/1/de/b7/chiru7777love7777/folder/902454/img_902454_25645020_0?1227060134


今日は、私が敬愛するエッセイスト&画家、まだ他にも多種の経歴の持ち主、玉村豊男さんの本より
共感を覚えた文章2編を紹介いたします。


絵を買うというのは、ほかの物品を買うのとはまったく違う。

なにしろなくてもいいものに、高い代金を支払うのである。

その絵がなくても、死にはしないし、その絵があるから空腹が満たされるわけでもない。

壁が淋しければ、ポスターでもカレンダーでもかけておけば済むところを、

本物の絵を飾ろうというのである。

しかし最初の決心には、大きなエネルギーが必要だが、

日常の中に絵がある暮らしが、どういうものがを一度知った人は、それから絵を買う人になる。

絵が好きで美術館によく行き、画集も何冊かもっているが、

本物の絵は買わないという人もいるし、それまで絵にはとくに興味がなかったのに、

たまたま展覧会で見た一点の絵が気に入ってから、その後何点も絵を買うようになったという人もいる。

絵を買う人と買わない人のあいだには、どこかに思い切ってジャンプしなければ越えられない溝があるのだろう。

       (「絵を描く日常」 玉村豊男著より)

好きな絵を見る

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私は美術館で絵を見るのも嫌いではない。

常設でも一時的な展覧会でも、ふだん目にすることのできない作品を、

広い空間と理想的な採光の中でゆったりと見ることができるのは、

美術館ならではの体験であり、そのためだけにでも、一日を費やす価値があると思うが、

その一方で咳ひとつするにも、はがかられるような静寂の中、

気に入った絵をじっくり眺めようとすると、すぐ隣りに次の人が待っているので、

やむをえず場所を譲ったり、反対にそろそろ次の絵に移ろうと思うと、

そこには先客がいるので、背後を通ってわざと反対側のほうに移動したり、

公共の場所で他人に気を遣いながら鑑賞するのは疲れることである。

その点家にある絵は気楽だ。

立って壁にかけてあるのを眺めるもよし、壁から外して食卓の前の置き、

ワインを飲みながら見るのもよい。

部屋を暗くして光を当て、好きな音楽を流しながら、鑑賞するのもまた格別である。

                 (「絵を描く日常」 玉村豊男著より)

                 (写真は、最近公園のバラ園に咲いていたのを撮影しました)

古典画法について

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古典絵画の多くは、立体的な球状のような場合のアウトラインは、はっきり描かず、ぼかして描いています。

時にそのぼかしの部分には、別の色を持ってきたりします。

ご存じのモナリザの絵、よく見るとどこにもカチッとした区別の色はありません。

みんなぼかしています。しかしぼけている感じはなく、それはやわらかさや和らぐ心に通じてくる感覚です。

私はこれが名画たる由縁だと思っています。

そのやわらかさは同じ物体の中の色の流れと、物体と物体、空間と物体の色の流れだと信じています。

肌の不透明の感じは、透明色にほんの少し白が入って、気持ち不透明色になったような、半透明といった微妙な絵の具の使い方をしないと表現できません。
  
                       (「赤い虹、青い虹」 横尾正夫著より)


上の絵は、この古典画法を取り入れた私の模写画です。

ジャン・パティスト・クルーズ作「スミレ色のチュニックの少女」

関連記事は http://blogs.yahoo.co.jp/atoriemimiran/33651731.html

只今、制作中(3)「小椅子の聖母」

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今リアルタイムにヤフーニュースで「ラファエロの傑作公開」の記事が出てた。

ウフィツィ美術館は、ラファエロの傑作「ひわの聖母」について約10年間の修復作業を終え、内外の報道陣に公開した。

私が興味があるのは、実際の色彩はどんなだか?

やはり色鮮やか。今模写している「椅子の母子」もそうだが、画集からコピーしても写真そのものの色彩がまるで違う。

残念ながら本物を見る機会がないので、想像するしかないが、上のコピーの方がより本物に近いと確証した。

ルネッサンス時代の絵は月日が経ち過ぎて、どうしても黄ばんだ感じに絵が変色しているが、あのモナリザの絵も、最新の科学技術を駆使して再現すると、かなり鮮やかな色彩だったようだ。

日本では、模写をさせてくれる美術館はどこにもないが、ルーブルはじめヨーロッパの美術館では、許可さえ求めれば、堂々と本画のまえで模写出来るのが羨ましい。

もっともヨーロッパなら模写画家の社会的地位もあるが、日本では残念ながらいかがわしい仕事しみたいに言われてしまう。

別に贋作を世に出して、銭儲けをする訳でなく、技術習得のためにしているだけなのに。

只今、制作中(3)コピー写真の色彩の違いを比較するため、写真を2枚掲載。
模写制作、順調です。まもなく完成報告が出来そうです。

絵の心

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美しい花を見たら日本人だけが、そこに美を感じるのではなく、アメリカ人もイギリス人も皆それを美しいと感じる。

本当に美味しい料理ならば、国境を越え美味しいと理解される。

人間は驚くほど変わらないものだ。このレベルに到達してこそ。普遍性を獲得したと言える。

このことが本当にわかることがとても大切な問題だ。

完璧への挑戦、実はこれが歴史を越えて残ってきたすべての美術作品に、共通して感じ取れる作家の姿勢であり、才能とは結局冷静さと集中力の賜物である。

その意味でアートというものは、完璧ではない人間が自己を向上させ、挑戦するに値する人間的なものである。

「美とは絶対の正直のことだ」ブランクーシの言葉どおり、美は人を素直にさせる。

                (「絵の心」 千住博著より)

                (写真は、最近公園のバラ園に咲いていたのを撮影しました。)
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