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「いい夫婦・・・モディリアーニ」と題した、このアメデオ・モディリアーニ(1884年7月12日生れ)とジャンヌ・エビュテルヌは、1916年12月30日出会い、その時に描いたスケッチが残されている。

その翌年に同棲生活を始め、1918年11月29日に南仏ニースで長女が誕生している。正式に結婚、入籍関係だったかはともかく、モディリアーニが35歳の若さで結核性脳膜炎のため死去するまでの約3年半の夫婦生活。

彼が病死の2日後の早朝5時頃、妊娠8ヶ月だったジャンヌは実家のアパルトマンの窓から身を投げた。(享年21歳)余りにもはかない彼女の一生。

映画「モンパルナスの灯」では、ハンサムで定評のモディリアーニをジェラール・フィリップが演じ、ストーリーはご存知の方も多いのではないかと思いますが、私は「画家のいい夫婦関係」として今日のブログに掲載いたします。

モディリアーニはジャンヌと知り合う前にイギリスの詩人ベアトリス・ヘイスティングスと同棲生活しており、元来病弱な体質にも関わらず、酒と麻薬におぼれた退廃的な生活が、芸術家の生き様として同情を呼んでいるところもみられる。

女性遍歴が多いようにも思われているが、私は案外「真面目な男」と共感します。ヌードの絵画も多くあるので、女性にふしだらな男と思われがちだが、本(モディリアーニの恋人 新潮社発行)にはこんな記載がある。

★ヌードデッサンは絵画修業の基礎ですから、フィレンツェの教室でもやっているんですが、油絵として描くのは1916年から。

この年に知りあった画商のズボロフスキーが、肖像画ばかり描いていたモディリアーニを裸婦の連作で売り出そうとしたんですね。

彼は基本的に恋人の裸は描かないとされていて、しかしプロのモデルを雇う余裕はなかった。そこで、ズボロフスキーが用意したモデル(娼婦)を、非常な集中力をもって描くんです。★

モディリアーニの時代、表現の自由称しても、陰毛のある絵画を公の場で展示されるのは、ワイセツ物扱い。個展会場で警察の目を引いてしまい、取り外しを命じられたりされる時代のことで、おおかたこんなモデルを描いていた彼を、女たらし風にイメージされたのだろう。

モディリアーニが愛しいジャンヌを描いた絵画をご覧いただくと、彼の深い愛情を感じるのではないでしょうか。
最後に、ジャンヌがモディリアーニを思っての後追い自殺に触れないわけにはいかない。
いまどき流行らないかもしれないが、愛情表現に命をかけてまでも・・・。
彼の死後、後追い自殺したジャンヌの気持ちはどれほどの想いだったのか。本文には「妊娠中にはやや嫉妬深くなったようだ」とも記されている。